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ギリシャから ド・モンブラン・むつみ

<18>宴のあとで -04.09

 オリンピックのあとのギリシャはどうなるのでしょう?もう誰も見向きもしてくれなかったらすごく淋しい。
 良くも悪くも、ギリシャは今年1年、世界の話題になり、アルキメデスの原理ぐらいでしか思い出されることのなかった国の、生き生きとした現代の姿が紹介された。
 オリンピックの収支はわからないが、仮に大きな赤字に終わったとしても、長い目で見たとき、それがギリシャ人にもたらすものは大きいと信じたい。
 開会式で、ジバンシーだかシェレルだかのスーツに身を包んだ、ジアナ・アンゲロプロス委員長の切った大見得をご覧になりましたか?
 世界何十億の聴衆を前に“We are ready!”。
 この人は、もうあとは大統領に立候補するしかない、くらいの堂々ぶりでしたが、あの一言に、会場は割れるような拍手で応えた。
 工事の遅れが、かなりみんなをやきもきさせたから、できあがるのが当たり前なのに、できたことだけで「よくやった、ギリシャ!」みたいな感動がゆきわたった、というのもヘンと言えばヘンだが、とにかくオリンピックを支えたのは、24時間体制で工事を進めたり、アテネ中に配された膨大な数のボランティアの人の力だ。
 日頃、あれだけ段取りがヘタで、いつでも船に船頭ばっかりで、フタを開けたアテネの混乱やいかに、と思っていたが、少なくとも8月13日のアテネで見る限り、それは見事な統制ぶりだった。
 各会場の細部に至ればいろいろあって、それは多分日本で細かく報道されているだろうから、皆様の方がお詳しいかも。
 飛行機代もホテル代も元に戻って(戻るでしょうね!?)、太陽も海も山もヤギもヒツジも、3000年来変わらぬギリシャ。一度旅する機会が皆様に訪れますことを祈りつつ。
(ギリシャ在住)―今回で終了します。

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<18>いよいよオリンピック -04.08

 いよいよオリンピック。日本にはギリシャのニュースがあふれているので、日本の友人の方が最近ではギリシャ事情に詳しかったりする。
 アテネはゴミを捨てると罰金なんだってね。ホテル代、5倍にボってるんだって?切符が半分以上残っているらしいじゃない。マラソンコースの長さ間違えたんだって?こちら、何へぇになるか数えきれない。
 ギリシャの友人達はというと、こちらで水を向けでもしないと、オリンピックの話はなかなか出で来ない。
 アテネだけいい思いをして、みたいな気分があって、まあ、この対抗意識はギリシャが都市国家集団の集まりだったころからの伝統ではあるが、おかげで、地方は国のお金は回ってこないし、観光客は減るし、物価は上がるし、後が思いやられる、という批判の方が先だった。
 さすがにこの数週間は、ジダンが聖火リレーでこの地方に来るとか来ないとか、ローカルな話題は聞かれるようになってきたが。
 ところで、世界のスポーツシーンに登場することはギリシャ人が登場することは稀だった。この間のユーロ2004までは。
 あの優勝はだーーーれも考えていなかったから、ギリシャの勝ちに賭けて大儲けした人がいたそうだが、今からうらしましがっても遅い。
 サッカーはヨーロッパの(日本とアメリカを除く世界、かな?)他の国同様、一番ポピュラーなスポーツで、ついでバスケット、テニスなどが人気がある。
 オリンピック種目では、ウエイトリフティング(因みにこの会場は各種競技場施設の内でまっ先に竣工したそうな)やウインドサーフィンでメダルの歴史があるが、USAトゥディ紙の予想は陸上、テニス、体操である。
 ところで、普通のイメージだとフランス人は、ワインやアバンチュールにばかりうつつを抜かして、優男優女ばかりのような気がするが、これが以外と、アクティブで、アウトドアで、ツールドフランスやヨットのスピード世界記録ももっともな、広い底辺が存在する。
 で、それに比べてギリシャ人はというと、圧倒的に運動しない方に入るだろう。
 都会や若い層に、ジム通いしたり、ウォーキングをする人たちが増えてきてはいるが、果たしてアテネオリンピック、どこまでギリシャは頑張るか?
(ギリシャ在住)

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<16>エネルギー事情 -04.07

 夏至を過ぎて、天候不順だったギリシャもようやくいつもの夏らしくなった。日中は連日30度を超える。シャワーの栓をひねると、熱いお湯がほとばしる。水道が遠路はるばる山奥の水処理施設からパイプで送られて来るので、天然のソーラーパネル化しているのだ。
 山道をドライブしていると青いパイプが道ばたをくねくね通っていて、これで無事水が届くのかと心配になったものだが今のところ、ちゃんと蛇口まで到達している。
 やっぱりギリシャは太陽だから、多くの家がソーラーパネルを屋根に載せている。決して安い設備ではないが、5ヶ月はこれでお湯が十分になので、元はとれる。
 冬の暖房はさまざまだが、まず暖炉。秋に落とすオリーブの枝や、自給の薪で結構節約になる。
 アパート住まいの人は、集中暖房や電気ヒーター。ガスが使われていないので、調理器具も全部電気だ。
 お客を予定している夜に停電すると、主婦はパニックだ。2本の停電対策は世界最高レベルだと思うが、ギリシャもニューヨークもそうはいかないのである。
 水と電気が一応行き渡っているのと見ると、山と島が一杯で人口の少ない国で、大変な事業だなあとつくづく感心する。家庭の場合、電気料金に住民税が含まれていて、ちょっと逆のようだが、使用量が増えると単価が上がるのも納得できる。
 ギリシャ電力公社のロイさんによれば、発電の60%は褐炭によるそうだ。あまりきれいな燃料ではないらしいが、とりあえず自給できるのがメリット。アテネなどの大都会ではロシアからの天然ガスの発電を増やそうとしている。
 後は、水力、風力、太陽の光や熱など、自然のエネルギーを最大限利用、電力需要が低い時にはイタリアやブルガリアにも供給している。
 夏は冷房と、農業用や家庭用の散水で足りなくなるから、逆に輸入する。欧州の指針による10年計画の一環で、技術や供給システムなどノウハウをバルカン半島の国々に提供していくのだそうだ。
 ヨーロッパが拡大して、ギリシャも東の先輩として役割が増していくと、みんなが心配しているオリンピック後のリセッションへの1つの展望になるだろうか。
(ギリシャ在住)

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<15>ゴミと車 -04.06

 ギリシャに来て驚いたことは山ほどあるが、筆頭はなんといってもゴミと車だろう。
 ギリシャというと青い海に白い家で、とにかくすがすがしいイメージだが、実際は、観光地としてすごく開けたところは別として、海岸も道ばたも、プラスチックゴミがないところはない。
 吸い殻はもちろん、車の窓や、歩きながらのゴミのポイ捨ては当たり前。人里離れた美しい山道をドライブしているとする。さっと視界が開け、はるかに紺碧の海が広がる。日本人でなくても、ここは降りて、ポーズ、といきたくなるでしょう。
 と、足下の断崖にゴミの山。ほぼ間違いなく、ここはきれいだ、車もとめられる、というところはゴミが捨ててある。
 ゴミは役所の管轄だが、実際には業者が請け負うのか、はたまた捨てるところに制限があるのかないのか、とにかく集めたゴミは自然に返す。
 人口が少なくて、消費生活が進んでいなくて、スーパーのプラスチック袋が存在しなかった時はそれでよかっただろうが、今日のゴミ処理問題はかなり悲劇的。海岸のプラスチックも実はこの投棄が最大の犯人で、山奥の谷間に捨てられたゴミが、季節を問わずさかんな雷雨に流されて海に流れ出てしまうのだ。
 原因はお金。市町村に余裕がなく、しかもゴミ処理施設より、歩道や広場の化粧が優先されて、人口1万7千のわがナフパクトスでも、町外れに野天の焼却場があるだけだ。
 だが根本は、ポイ捨てに見るとおり、個人の意識の問題。子供の頃から誰も注意しなければ、気にならなくなって当たり前だ。
 運転もちょっと想像を絶する。誰でもハンドルを握るとだいたいどう猛になるのが、ギリシャ人はすごい。交通規則は、状況判断で応用するものと考えているとしか思えない。
 一時停止無視、一方通行逆進で驚いてはいけない。追いこし禁止の、山道のカーブの、見通しゼロの、前がトラックでも、平気で反対車線に出ていく。左折しようとウインカーを早めに出して減速すると、クラクションをならされ、しかも曲がろうとするところで追い越しをかけていく。
 ギリシャは、ヨーロッパで一番交通死者数が多い国なのだ。
 ゴミも車も、公共の視点があるかないか、つまり他人への配慮の問題。隣人家族助け合い、おかずを交換して、本当に親切なギリシャ人だが、一旦利害が衝突すると、隣人家族血みどろの争いになるのはギリシャ悲劇に見る通り。
 この血の濃さとでもいうものがギリシャ人とよくも悪くもする。
(ギリシャ在住)

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<14>オリンピックフィーバー -04.05

 アテネの空港からハイウェイに乗ると、遠目に新しいオリンピックスタジアムの屋根が見える。先週通った人に様子を尋ねたら、まだ鋼鉄の骨組みだけだと言っていた。
 日本でも多分すっかりお馴染みになったこの屋根、土建屋の主人は、パフォーマンスのいい会社がやっても間に合わない時期に作り始めたのだから、ギリシャの会社で間に合うはずがないといっている。
 現場は今や24時間体制で頑張っているが、果たして、オリンピック委員会の会長がとうとうさじを投げたように、8月のアテネにどうせ雨は降らないさ!と開き直るしかないのであろうか。
 マラソンコースができあがっていないのも、ご承知の通り。ちゃんと道路があったのだから、なにもわざわざ作り直すことはなかったのにと思うが、旧道に平行してカーブなども調整して作っているのは、ゆくゆく4車線のハイウェイにする計画なのだろう。こちらはとりあえず間もなくできあがりそうな気配。
 アテネはそこかしこ工事中で、渋滞は並み大抵ではない。
 競技関係だけでなく、議事堂前広場を始め、新しいライトアップの設備や、町のお化粧直しをしているからだが、一度に全部、手をつけてしまったという感じで、町中工事現場の様相だ。
 観光シーズン間近になると始まって、なかなか終わらなくて、仕上げがやりっ放しの工事現場というのは、かなりギリシャ的光景なのだが、住民にはいい迷惑だ。
 遠いから、日本からわざわざ来る人は少ないだろう、と以前この欄に書いたことがあったが、本紙編集部いわく「サッカーが出場権を獲得したから、かなりのサポーターが行くはずですよ」
 そうか。でもホテル、高いですよ。ただでさえ、物価上昇がヨーロッパで一番で、10年前に4000円(これがそもそもすごく安かったのですが)で泊まれたホテルが、4万円以上(これは行き過ぎです)するアテネ、組織委員会の価格統制もなんのその、プレミアムで値段はうなぎのぼり。一説では4倍とも5倍とも。
 日本のある種目のチームから伺ったお話だが、期間中チーム全員が泊まる8ベッドルームぐらいの2軒屋もしくは至近距離の2軒を探して、条件のいいところは700万円から1000万円の値段が呈示されたそうで、絶句した。
 確かに、ホテルに泊まるのと同じといわれればそれまでだが、アメリカ大使館の近くに家を持つ某氏は、期間中家を貸してボロ儲けとか、目下オリンピックフィーバーは、とどまるところを知らない。
(ギリシャ在住)

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<13>不思議の国 -04.04

 3月25日、この日ギリシャは対トルコの革命記念日で祭日だ。
 ギリシャの冬から春にかけては結構雨が多いのだが、この日も朝から大雨。なんでこんな時期に聖火の採火をするのだろうと思っていたら、今回は過去の開催地を全部通ってくるから通常より早いスタートらしい。
 雨で太陽が出ていなかったらどうやって聖火を取るのかなあ、というのはみんなが疑問に思うそうで、親しいガイドさんが教えてくれました。
 ちゃんと天気のいい日にリハーサルをやって、予備の火を取っておくのだそうです。
 友人が式典を見に行った。決めたのだから行うという、ポルトガル人らしい真面目な態度で大雨の中を朝7時出発、オリンピアに着く頃にはピーカンの晴天、古代オリンピックの聖地には1万5,000人が集まった。
 ここは今でいう選手村も応援団の滞在設備もあったので、全体は大きな区域にまたがるが、その中のスタジアムが会場。そこにアクセスするためのセキュリティチェックは1カ所。4台の機械で処理しても、長蛇の列が1時間。
 さて席について、余人厳禁の聖地での点火を待つこと1時間、古代ギリシャを模した衣装の美しい巫女さんのダンスなど幻想的なアトラクションを含め、聖火が第一走者に渡されるセレモニー本番が1時間、終了して全員が退場する1カ所の出口を出るのに1時間。
 友人は感動して帰ってきたが、聖火だけでこれだけの手間ひま、開会式など本番はどうなることやら。
 大イベント運営のノウハウをそれほど持っているとも思えないが、とにかく自分でやればできるという誇り高いギリシャのオリンピック。
 世界がその準備を指摘して、プレスの論調も批判的、揶揄的であるのを読むと、なんとなく悔しくなるギリシャ仮住民としては、とにかく無事に始まってくれることを祈ってしまう。
 ところで、私事になりますが、3月に日本へ往復する機会があって、日本でのオリンピックへの関心が高いのに驚いた。高橋尚子選手が選に落ちた翌日、日刊紙の一面トップがこの記事だったのもすごい。
 あの記者会見は、陸連とか、スポンサーとか、もろもろの思惑を超越して、常人では及ばないレベルをめざす人の、混乱のない精神力が感じられて、感動的だった。
 もう1つ感動的だったのは、唐突ですが、高知のハルウララ。負けても負けても走り続ける物語に夢中になる人々の物語をテレビで見て、不覚にも泣かされてしまった。
 これは、いくら日本びいきの外国人でも、わかってもらえないだろうなあ。
 オリンピックで何かと話題になってみると、ギリシャ人は不思議だ!という気がされるかもしれませんが、遠いギリシャの田舎から来て、耳に目に飛び込んでくる日本の毎日も、これまた不思議な刺激に満ちています。
(ギリシャ在住)

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<12>住めばみやこ -04.03

 世界一幸せな男は誰でしょう?有名だからこのお話、ご存知の方も多いかも。それは、アメリカの家に住み、イギリスの給料を貰い、中国人のコックがいて、日本人の奥さんを持つ(これが言いたかった!)人。世界一不幸せな男もこの組み合わせでできます。
 この話は良くできているが、ある国の特徴を一言でいうのは難しい。ギリシャも、アテネしか知らないのと、田舎を旅するのでは、随分印象が違うと思う。
 当家のアテネの印象はすこぶる悪い。プラカという、アクロポリスのふもとの観光地の木陰のレストランで、お昼を食べた時のこと。シャネルスーツの上品な婦人が私達のうしろのテーブルにすわった。さて食事を終えて勘定をしようと思ったら財布がない!
 上着を椅子の背中にかけておいたのが大失敗。そういえばテーブルはどこもがらがらだったのに、よりによって真後ろに座って、第一あんな身なりの女性が真っ昼間1人でレストランというのも変だった、とあとで気がついても遅かりし。最優先でカード会社に連絡をとって、カードが止まるまでの30分の間に見事20万円ばかり買い込まれてしまっていた。
 レストランも、店もみんなぐるに違いない!遠いので、オリンピックといっても、日本から来る人はそう多くないとは思うが、旅行の際、保険はおまじないだと思って、絶対かけることをおすすめします。
 保険会社も最近渋くなっていますが、警察の盗難届けさえあればたいてい戻ってきます。
 そういえば以前、アメリカで、体重170キロと160何キロだかの若者2人がマクドナルドを相手取って訴訟を起こしたという記事を読んだ。
 食べすぎると肥満の危険性があると公示してなかったから、こんなに太ったのはお前が悪いんだぞ、というのが訴えの理由だそうで、さすがに却下されたらしいけれど、すごい国だ、アメリカは。保険会社だっておいそれと払わなくなって当然だ。
 ところで我がナフパクトスでは、アヒルもニワトリも放し飼いだ。丸々とおいしそうだ、と私のように思う人間がいても、そういって盗んでいく人はいないらしい。
 レモンも、たわわな枝が道にはみだしているが、実はいつまでもなったままだ。
 小さな土地で、多かれ少なかれ知り合いだったり、どこで誰かが多分見ている、というのがあるかもしれない。
 それがうっとうしい時もあるが、車に鍵はかけないし、道ですれ違えば知らない人でも挨拶する。村の暮らしがまだ残っている。
 先頃この地方に視察に来たギリシャ首相が、先端的な橋の建設や、オリンピックで証明されるギリシャの近代化というようなことを言っていたが、きれいな自然に囲まれたこの土地は、少なくとも土地の人の人情は、いつまでもこのままでいてほしいと、身勝手な外国人はそう思います。
(ギリシャ在住)

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<11> もうすぐ春 -04.02

 2月は悪夢の受験シーズン。私の仲のいい飲み友だちも一人娘が中学受験で、夜遅くまで塾で大変だ。
 この頃は公立のレベルがまた上がってきているらしいが、とりあえず、中高一貫の私立でせめて伸び伸びと少女時代を過ごさせたいと思う親心はよくわかり、はたも気がもめる。
 湯島の天神様のお守りが効くといいのですが。
 ギリシャの子供たちもよく勉強する。世界的傾向だろうが、親の職業に関わりなく、子供にはいい学校いい仕事を望むのはここも同じで、小学校から塾通い。
 午後1時過ぎに学校から帰ってひと休みすると、4時頃から、へたをすると夜9時頃まで勉強だ。
 誰でも行くのが外国語の学校で、なんといっても英語、第2外国語としてドイツ語、フランス語が続く。
 小学校でも日常会話程度のできる子はたくさんいる。
 店やレストランでも、なんとか英語の通じる店員に出会えるし、ギリシャは日本やフランスに比べて英語先進国である。
 日本語もそうだが、世界でギリシャ語を話すのはギリシャ人だけ。自国の産業というと、目下海運、観光ぐらいで、海外へ働き口を求める者も多く、外国語を身につけるモチベーションが強いのだと思う。
 流暢な発音で親のいうことを通訳してくれる中学生を見ると、たった一世代でもギリシャは本当にヨーロッパになるのかもしれないという感じがする。
 大学進学率は日本ほどではないが、男女とも高卒後4〜6年の勉強をして、専門職を目指すものは増えている。
 女も仕事という意識は高い。身の周りの例だが、土木の現場で、ヘルメットから亜麻色の長い髪をなびかせて、高い足場をものともしない女性エンジニアの数はフランスより多い。
 職業における男女差が建前上ない(子供を生む女のハンディはもちろんあります)フランスでも、土建屋はまだ男の世界なのだ。
 これまでも、実は家庭内を仕切ってきた女性軍が仕事の場にも進出すると、ギリシャは侮れない国になるかもしれない。
 ありがたいことに覚めない夢はない。
 悪夢もきっと終わりがきて、節分がきて、春はもうすぐ。
 ギリシャも、桜色のアーモンドの花が咲いて、夕暮れの空も桜色で、空には笑っているような満月で、一足お先に春です。
(ギリシャ在住)

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<10> 地中海人気質 -04.01

 明けましておめでとうございます。ギリシャ語では「フロニャ・ポラ」といいます。幾歳お久しゅう、というような意味で、クリスマスにも誕生日にもいう、お祝いの言葉です。皆様にも、本当によいお年になるようにお祈りしています。
 景気が底を打ったといわれてから随分になるような気がします。何でもゴールが見えてからが長いのですが、景気のゴールは見えてもいないような。健康一番、息切れせぬようカロ・クライヨ=頑張って。
 ギリシャは、今年はオリンピックの年。日本でも時々話題に上がっているようだが、ゴールを目前に、今、関連事業はフル回転。主人の現場もとばっちりで、人が足りなくなってやりくりが大変だ。
 日頃ギリシャ人と仕事をして苦労しているフランス人連中は、皮肉半分「工事が間に合いませんから、開会をちょっと延ばします、なんてんじゃねーの」などと言っているが、大方は段々目途が立ってきているらしい。突貫で、やっぱり何とか間に合うのがギリシャ式のようである(本人達がそう言っているのです)。
 フランス人の苦労というのは、ピーター・メイルの書いた「プロバァンスの12か月」という本をお読みになられた方にはわかって頂けようが、地中海人気質とでもいうもので、工事の手配で「月曜に来ます」といわれたら、それが来週だなんて、ゆめゆめ思ってはいけない。毎週、しまいには毎日催促しないと、何カ月先にもなりかねない。
 家を建てるとする。タイルでも建具でも、ちょっとやって現場はそのまま、次に来るのはさんざん催促のあと。一仕事をまとめて仕上げて、ということをしない、すいてる床屋方式なのである。
 それは、忙しい男が床屋の前を通りかかったら、客が1人ヒゲをそってもらっているだけ。お、ここならすぐできると入ると、早速空いている席に通されて、ふわふわとヒゲそりの泡をぬりたくられ、こちらへどうぞ。案内されるままに隣の部屋に入ると、そこには顔を泡だらけにした男がズラッと座って待っていた、というお話。一旦頼んでしまったが最後、業者を簡単に替えるわけにはいかないものでしょう?
 違う例だが、フランスで、宅配便が月曜の午前中に来るとしたら、じっと待っていないと(へたをすると待っていても)「お留守でしたね、配送センターに取りに来て下さい」と紙切れが残され、車で延々郊外まで取りに行くはめになる。単に配送人のおさぼりが故なのである。そんな時、つくづく日本が恋しくなる。日本のサービスは天下一品です。
 間に合おうが合うまいが、あと7カ月で、斬新なデザインの、新しいオリンピックスタジアムでファンファーレが鳴る。交通渋滞で、くれぐれも開会式に間に合わなかった、なんてことのないように、日本の選手のみなさん。カロ・クライヨ!
(ギリシャ在住)

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<9>外国人労働者 -03.12

 畑のオリーブの収穫も、この辺ではほぼ終わり、裏山に初雪が降りた。ギリシャも冬になりました。
 今年のオリーブは豊作だった。実の量は少なかったが、いい油がたっぷりだとみんな喜んでいる。オリーブは地中海沿岸ならほとんどどこでも生育し、実の熟し具合でオイルの色が緑から黄色に変化する。この辺りは、実がまだ若々しいグリーンの内に収穫するので、オイルもとても美しい緑色をしている。
 日本にいるころは「あっぶらくさーい」と思っていてオリーブオイルだが、新鮮なエクストラバージンオイルに慣れると、摘みたての若草のような芳香がなんともいえない。
 ギリシャ人の究極の食べ方は、小皿にとったオリーブオイルに、天日干しした海の塩とオレガノを入れて、それに田舎パンをひたして食べるというもの。これにフェタという羊のチーズとワインがあると、陶酔郷です。
 すみません、また食べ物の話になってしまいました。
 収穫は隣国アルバニアからの出稼ぎにとっても稼ぎ時だ。人口が少ないせいか、はたまた少子化で、親は子供に高学歴を目指すせいか、ギリシャにも、たくさんの外国人労働者がいる。
 肉体労働のアルバニア、家事労働のフィリピン、サービス業の東欧系。アルバニア人はことに多く、それだけ彼等に対する偏見も厳しく、ちょっと事件があるとすぐアルバニア人のせいにされる(長い間、トルコの被支配民族として辛酸をなめた反動もあるかもしれない)。
 人使いはめっぽう荒い。もちろん支払いはキャッシュで、時給日給。素手で木を伐り、石を運び、正真正銘、体だけが資本だ。国では大学出でも、出稼ぎの仕事はみんな同じ。化学の研究者だった人が、家政婦をしているのを見ると、戦後、朝鮮半島のように半分共産圏に組み入れられるのをまぬがれた、日本の運命を考えてしまう。
 東欧系というのはロシアやルーマニアなどの女性で、バーやレストランで働いたり、さらには売春に至るものも。「アルバニアマフィア」と呼ばれる組織が存在して、ギリシャ−イタリアルートで、恣意の者から人さらいした子供まで、フランスなど西欧に送り込むとも言われていて、パリの夜の高級ブティック街にも本当にきれいな人が立っている。
 ナフパクトスの夜にもそれとわかる若いスラブ系の女性を見かけることがある。当地のフランス人で、薬を混ぜたお酒でも飲まされたのか、正体不明に酔っぱらい、翌朝気付いたら財布の中身をすっかりなくしていた事件も起こっているから、お正月の海外旅行ではくれぐれもご用心下さい。
 イスラム教徒の多いアルバニア人も、クリスマスは仕事の方が休み。大型バスに24時間ゆられて懐かしい故郷の家族の元に帰る。
 働く人に幸いあれ、メリー・クリスマス。
(ギリシャ在住)

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<8>ギリシャは踊る -03.11

 台所をやりながらラジオをよく聞く。ニュースもDJも、せいぜいわかるのは「何の話だなあ」ぐらいで、内容はいまだにわからない。4年も住んでこれだから、脳みその衰えに嫌になる。
 FM局はたくさんあるが、ほとんど歌ばかり。それが日本の演歌やポップスにものすごく似ている。ギリシャ一の大物歌手は、声も歌もすっかりさだまさし。ラブソングがほとんどなのだが、戦争や出稼ぎの別れの辛さを歌ったものも結構多いのは、東と西の間にあって、外国の征服や内戦の歴史を生きた国だからだろうか。
 ギリシャを舞台にした映画で日本にも一般の記憶にあるとしたら、アンソニークイーンが名演した「その男ゾルバ」ではないかと思うが、その中でゾルバが、喜びも悲しみも、俺達ギリシャ人は踊るのさ、とステップを踏み出すシーンがあって、そのバックで「ブズキ」のひと掻きがじゃらーんと鳴った時は、思わずぞくっとして、我ながらだいぶかぶれてきたと思った。
 ブズキというのはマンドリンに似た楽器で、これにクラリネットやバッテリーを合わせてオーケストレーションする。
 そんな気取らなくても、村のタベルナで週末の夜も更けると、おっさんや若者が楽器を持ってやってきて、いつものようにという感じで演奏を始める。店の亭主も側に座って聞いていたり、おかみさんが踊りだしたり、ごく自然に音楽とダンスが生活に溶け込んでいる。
 ある日曜の朝、山にドライブに出かけた時、荷台に野菜や日用品を積んだトラックが「いらんかねー」とスピーカーでどなりながらゆっくり進んで来るのに出会った。
 ちょうど眺めのいいところだったので、こちらも車をとめてひと休みしていると、近所の人たちが、2人3人と集まって来て、中の荷物の品定めをする。
 トラックのラジオからブズキの流行歌。と、そのうち、おじさんの1人が踊りだし、ひとしきり踊ると、また次のおじさんが踊り出す。
 これは男がソロで踊る曲だからだが、その内皆が肩を組んでの踊りも始まって、穏やかな日曜の朝の道ばたの情景は、村びとの談笑をバックにいい風物詩だった。
 ブズキなど、ギリシャの歌謡曲で踊るところはディスコとは別にあって、夜の1時頃から人が集まりだし、2〜3時に最高潮に達する。ソロ、群舞、テーブルに上がって踊る人、グラスを床に投げつけて賞賛をあらわす人、盛り上がるとすごいが、みんな伸び伸びと楽しむ。
 小学校で習うし、いくつかのステップを見よう見まねで覚えれば誰でも簡単に踊れる。
 私達が男の子と大っぴらに手をつなげたのはフォークダンスだけだったが、ギリシャの踊りはまさにフォークダンス。堂々とギリシャ美女と手をつなげますから、もしチャンスがあったら、決して照れたりしないで参加して下さい。
(ギリシャ在住)

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<7>ワインの秋 -0.10

 私にはボルドー大学に留学している年上の友人がいる。1部上場の重役の声も聞こえたのにあっさり早期リタイア、念願のワイン醸造学部留学を実現した。
 フランスのみならず世界のソムリエがめざす難関コースの審査を突破して、もうすぐ始まる授業に備え、目下フランス語を特訓中だ。
 なかなか仕事を手放せない日本の企業戦士の世界に接することが多かった私にとって、とても新鮮な生き方で、大学生活の楽しからんことを祈る一方、折角の専門知識を活かしての第2のプロ人生の展開が楽しみだと思うのだが、そういう俗ッ気は超越して、やりたかったことに存分に浸る喜びを満喫されているようである。
 留学を決心されたいきさつを伺った折り、「女房と2人で計算して、色々やりくりすれば2年留学して、75歳までの人生として、なんとかお金の方は間に合うという結論に達してね」とおっしゃるので、75年というのはちょっと計算間違いなんじゃないか、と思いつつ、定年後も短くない人生を、自分の体と頭の古び具合(と懐具合)に応じて、何段階かにわけて考えるのは正しい、と感じたものである。
 話をギリシャに戻します。
 ギリシャも今がワインの仕込みのまっさかり。今頃になると、自家製です、と形容しがたい色のワインの入った大きな酒瓶をあちこちから頂く。
 私はお酒ならなんでもおいしいと思うのでなにも感じないが、フランス人達にいわせると、酢にもできない、という味らしい。
 畑に1坪程度ふどうを作って、誰でも作って、街道を走っていると、ワインあります、という看板もよく見かける。日本は法律でだめなんじゃないでしょうか。
 ついこの間、女3人で旅行の帰り、ネメアというワインの大産地を通ったら、「ワイン街道」の看板があって、これはおいしい地酒が見つかるかも、といそいそと車を小道に入れた。
 思った通り、醸造元。おじさんと若者の2人でふつふつと発酵するタンクをのぞいている。
 「売っていただけますか?」。しげしげとめずらしい東洋人を眺めたおじさんは、まあ、いらっしゃい、と真新しい樽に私達を招き、中から深いボルドー色の液体をなみなみとグラスに注ぎ、味見をさせてくれる。
 「強いですねー!」「今年はできがいいんだよ」
 去年の瓶も気前よくポンと開けてくれて、こちらもお味見。アルコール度は12.6%で今年のよりライトだが、おいしい。
 でもお値段が960円とフランス的感覚では少々高かったので、2本でいいんですが、と遠慮がちに頼むと、2本?しょうがないなあ、という顔をして、今開けたのに新しいのをもう1本私達の腕に持たせてくれた。
 「女だけだと、いいことあるねー!」
 ワインの好きな男性は、ギリシャでも、なかなか粋なのです。
(ギリシャ在住)

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<6>エピダヴロス -03.09

 日本から仲のいい友だちが来てくれたので、エピダヴロスの見物に行って来た。
 ギリシャ観光というと、まず首都アテネ、それからアポロンの信託で信仰を集めたデルフィの遺跡、オリンピアが三大名所で、これに途中の景勝地(エピダヴロスもこれに入る)を見ながら2泊3日でこなす。
 合計900キロぐらいのバス旅行で、見物の時間も入れるとすごくハードだと思うのだが、よく考えたらロンドン、パリ、ローマの三大都市を股にかけて、5泊7日とかでこなしてしまう我が同胞にとっては、じっくり周遊型の旅に入るかもしれない。
 エピダヴロスには4世紀に建てられた野外劇場があり、夏の間ほぼ毎週古代演劇が上演される。2500年ぐらい前のギリシャ悲喜劇を現代語で演じるのだが、最高1万4000人収容できる劇場は内外の観客で結構満員だ。
 夕焼けの名残りがだんだん暮れ始めるころ、半円形に広がる55段の客席がざわざわと人で埋まり始める。
 セレブが来ると、テレビのライトがそちらに向けられるので、拍手が湧くこともある。
 この人たちが座るかどうかは確認したことがないが、前列中央にはここだけ立派な背もたれのついた貴賓席がある。どのみち全部石なので、お尻が痛いのは変わりないが、今は民主的にどの席にもクッションが置いてある。
 アナウンスがあって一瞬の静寂の中、いよいよ芝居の幕開けだ。マイクがなくても音響効果抜群の劇場に俳優の声が響き渡る。
 大演劇は様々な作家がアレンジして、現代でも上演されている。私達が観たのはオイディプス王の物語で、日本では野村萬斉が演じていたのをテレビで見た。素敵だった。
 それと知らずに父を殺し、実の母親と結婚し、やがて罪を知って、その恐ろしさに自らの目を貫いて放浪の身になるというストーリーは、エディプスコンプレックスの語源にもなって有名だが、もっと過激なものもあって人間はたいてい神の設定した運命に翻弄される。
 その理不尽さとか、それにどう立ち向かって行くとか、神の意志を人間の法廷にかけて、運命を人間の問題として扱おうとする試みとか、2000年前から人の心理や理性は、既に今と変わらないという感じがさせられる。
 1度ぜひ見たいと思っているのが「女の平和」という喜劇だ。
 これは、20年間も戦争を続けている男達に怒った女達がセックスストライキを敢行するという物語で、現代のCNN式戦争に向かないかもしれないが、家庭内ぐらいだったらまだまだ有効な戦術のような気がするのです。
 いかがでしょうか。
(ギリシャ在住)

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<5>夏休みの過ごし方 -03.08

 ギリシャは夏が一番いい。暑い国の人は暑いのは嫌いかと思っていたが、ギリシャ人も夏が好きだ。子供の頃の日本は夏がすごく暑かったような気がする。ギリシャではこの懐かしい暑さを堪能できる。はるかサハラ砂漠から吹いてくる赤い風が吹くと、まるでオーブンを開けた時のような熱風が顔を打つ。風が赤いのは本当で、この風のあとは階段や手すりがうっすら赤くなってしまう。
 アテネのあるアッテッカ地方はうちよりなお暑いから、来年8月のオリンピックを戦う選手は大変だと思う。どうして、よりによって一番暑い時にやるのかと事情に詳しい人に聞いたら、夏休みでアテネががらがらになるから、大挙するオリンピック関係人口の受け入れが楽にできるからだそうだ。確かに、110万人の人口のほぼ半分がアテネとその近郊に集中して、その人たちが、夏は一斉に故郷に帰る。
 人々の取る夏休みの長さは平均2週間。ギリシャのお金持ちは大金持ちなので、大型クルーザーでコートダジュールやカリフォルニアに出没するが、中産階級が日本程豊かではなく、いわゆるバカンスへ出かける人の割合はまだそう高くない。それになにより家族が第一の伝統が強いので、夏休みは大半が里帰りになる。田舎のお嫁さんは大変だと思われるでしょうが、娘が嫁ぐ時に土地を持たせる習慣が残っていて、親の家の近くに娘夫婦が住んでいるケースが多い。ま、それでも家族が集まると、やっぱりお嫁さんは気をつかっているみたいですが。
 7月末で子供達の夏期補習も終わると、うちの近所の小さな町はこうした夏休みの家族連れで一杯になる。朝、太陽があがりきる前は涼しくて海も凪いでいる。
 海岸はウォーキングや釣りをする人がちらほら。朝ごはんというのはなくコーヒーだけ。11時頃になると、おじいさん達は大きなプラタナスの木陰のカフェニオンへ出かけ、コーヒーやワインで甘い(半端じゃなく、甘い)お菓子をつまむ。両親と子供達はパラソルを持って海岸へ。昼食は2時頃からだがそれもまちまちで、食事時間の早い私達が夜8時頃タベルナへ行くと、ゆっくり食休みをしている人たちがまだいることもある。
 午後は昼寝を楽しむのだろう、海辺も町も少しひっそりする。夜の8時頃はまだ明るくて、人々は海沿いの道をそぞろ歩いておしゃべりを楽しむ。10時頃、やっとレストランのテーブルが埋まり始める。エーゲ海の国際的なリゾート地でなくても、どんな小さな村でも海がある限り、必ず1軒や2軒は海を眺めて日永過ごすことのできるレストランやカフェがある。砂浜に並べられたテーブルを見渡すと、若いグループやカップル以上に、夫婦に子供におじいちゃんかおばあちゃんという組みあわせも多く、なんだか日本にいるような気がする。
 そんなテーブルのひとつで、月に輝く海を眺めながら、いかの唐揚げで冷たいワインを飲む時は(ビールと枝豆でもいいですね)、健康でさえあれば、幸せはとてもシンプルなものだとしみじみ感じるのです。
(ギリシャ在住)

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<4>橋とオリンピック -03.07

 私の今住んでいるところはアテネから西に220キロ、ナフパクトスという人口1万7000人の町のはずれである。
 一歩周りの山に入れば道で出会うのは山羊ばかり、人々は庭に野菜を作りニワトリを飼い、全身黒づくめの(ギリシャ正教では寡婦は一生黒を着ることになっている)おばあさんが近所に住む孫の面倒をみている、典型的な田舎である。
 日本人は、ギリシャ全体でも650人しか公式には把握されていないから、この辺ではまずお目にかかれない(旅に来たまま修道院に入ってしまった人とか、実際にはもっといるに違いない)。
 日本はご多分にもれず、ホンダやトヨタで認知されている。土地柄、エアコンの富士通、三菱もあり。でもそれ止まりで、フランスでもたまにあるが、今は夏か冬かと聞かれることもあるし、1度などタクシーで、日本ではまだサムライが刀をさして歩いているのかと聞かれ、さすがにびっくりした。
 引っ越して来たのは4年前で、主人の勤務するフランスのゼネコンが、ギリシャの大陸部とペロポネソス半島を結ぶ橋を建設することになったためだ。総予算約10億ドルの大規模なもので(因みに世界には長さ、高さ、難しさ、諸々によって世界一の橋がいくるもある。で、ここのも一応世界一のひとつ)、魚の養殖や自家用の農牧畜以外これといった産業のない地元への影響は大きい。
 労働力はもとより材料、下請け工事などは地元調達が優先だが、それでは間に合わないくらいだし、フランスからの50家族を始め国の内外から生活の場を移した人の数もばかにならない。
 4年前は夏休みの部屋貸しを除いて、まず借家というものがなかった。それがいくらでも貸せるとわかるや否や、家を改築したり新築を急いで貸す家があらわれて、家探しには全く困らなくなった。家賃は当然田舎にしてはかなり高めで、新築を急いでも元がとれるのである。
 町の八百屋が、町の景気が悪くて橋のおかげで助かっているようなものだと言っていたが、ここもあっという間に改装し、ちょっとしたミニスーパーに変身してしまった。新しいブティックやカフェも増えたし、車も高級車が走っている(一方でダイハツの三輪車が現役だったりもするが)。
 借家目当てでない住宅も新築ラッシュで、せいぜい羊が草を食んでいるだけだった土地にも次々「売りたし」の札が立った。地元の人に言わせればこれも橋が原因だそうで、確かにこの土地は、橋の開通を見込んでの思惑があって、買い手がいるかは別として、売り値は上がり、5〜6年前の倍とも言われている。
 しかし、多分もっと大きな原因は、EUとオリンピックだと思う。西欧としては飛び地のようなギリシャが、歴史的地理的政治的理由でEUに早々と組み入れられ、その様々な補助金が国全体でまわっている感じがする。オリンピックも同様、人口1100万人、GDP1700億ドルの小国がオリンピックという旗印を得て、一気にインフラの整備を目指した。多分東京オリンピックの頃の日本はこんな感じだった。
 ガヤガヤと体臭に満ち、床に犬が寝そべっていて、島のローカル空港のようだったアテネの空港も、近代的で脱ギリシャ的クリーンなエアポートになったし、それと市内を結ぶ高速道路もギリシャ式すったもんだの末に一応開通した。おかげで、去年の物価上昇率は4.2%。生活する方にとってはありがたくない話だが、ギリシャは今、ちょっとしたバブルと言えるかもしれない。
(ギリシャ在住)

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<3>食生活 -03.06

 ギリシャ人というのは、金髪碧眼だと、なぜか昔から思っていた。
 八頭身で美人でハンサムで。ギリシャ彫刻のような、という言い方をするし、絵の中のビーナスだって、ブロンドだったような気がするのですが。
 実際のギリシャ人は地中海系で、中背、髪も目も黒か茶。中年以降は世界共通としても、若い子でも結構下半身にボリュームがある。
 よく思い出すと、ミロのビーナスも結構すごい。あれが美女の基準になると、世の中の美女の割合がぐっと増えて、美女の奥さんを持つ人もぐっと増えて、幸せな人が増えると思います。
 そうなるといいのですが。
 それはともかく、食生活のせいか、どうも太目の人が多いような気がする。ギリシャ人に言ったら、また偏見だ!と叱られそうだが。
 では、ギリシャではどんなものを食べているかと申しますと。
 ギリシャ料理で一番有名なのはムサカでしょうか。ラザーニャの麺を茄子で置き換えたものと思ってください。
 でも、これは特別な料理で、日常の食卓ではマカロニ、豆の煮込み、野草やチーズのパイなど、シンプルなものが多い。
 隣の農家ではパンも手作り。卵は放し飼いのニワトリから、果物は畑になにかしら1年中生っているものをもいでくる。
 我が家もおかげで朝は毎日しぼりたてのオレンジジュースだ。これ、都内のホテルだとン千円、と、ついさもしい喜びに浸ってしまう。
 魚は養殖もさかんだが、なんといっても、朝の港で、漁師がとりたてを売っているのが最高だ。箱の中ではねていることもある。
 和食の店はアテネにはあるが、この辺では、車とフェリーで1時間の町まで行って、やっと中華が2軒。なんでも自分で作らないと食べられないから、アジのたたき、タイやスズキのさしみ、らしきのだが、とにかく作る。
 ギリシャ人は割と保守的で、変わったもの、特に生のものは魚も肉もだめ。
 黒々とした魚の瞳をみながら、これはおさしみがいいなぁ、なんてうっとりしてると、不気味だという顔をされる。
 お寿司は最近世界的ブームなので、人をよぶときにはこれに限るが、一応、玉子、かっぱ、カリフォルニア巻などは必ず入れておく。
 タベルナと呼ばれる居酒屋風レストランが安くて手軽だから、外食はさかん。イワシの天ぷらや、タコの酢づけをつまみに、宵のテラスで海風に涼みながら地酒のウーゾキを1杯、1杯が2杯、いいですよ〜。
 そのあとは、炭で焼いた焼魚か焼肉だ。オリーブオイルはサラダ、揚げ物、お菓子と、何でも使い、やはり全体に料理は油っこい。
 オリーブ油はリノール酸たっぷりで健康にいいとはいってもカロリーもたっぷり。ギリシャ人でなくても、太ります。
(ギリシャ在住)

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<2>男と女 -03.05

 今ごろになると、町のジムが混んでくる。水着の季節に備えて(特に)男たちが土壇場のシェイプアップに来るからだ。
 そしてむきむきになったボディにぴったりしたTシャツを着て、昼前からテラスにすわって、自分をみせびらかしている。
 古代文明の昔、ゲイは男も女も罪悪視されていなかったせいか(日本にだって衆道のれっきとした伝統があった。でも、もう廃れちゃったかも)、ギリシャにはゲイが多いという偏見がある。
 この場合は男のホモですが。そんな評判が呼ぶのか、ミコノスなどにはゲイが集まることで有名なビーチもあり、普通の人には雰囲気を乱さないよう、見物気分で行かないようにとガイドブックにはある。
 ゲイの気質はDNAに書き込まれているという説も最近はあるが、一般的には母親との関係が一番影響すると言われているようだ。
 理論的なことはよく知らないが、ギリシャに関していうと子供天国で、特に息子は母親が密着して面倒をみるから、女に対して寛大になったり、逆に女性からの逃避として自分が女に同一したりする、つまりホモになってもおかしくない環境は確かに存在する。
 彼女や女房はいくらでも代わりがいるけど、母親はわたしひとりでしょっ、と断言するギリシャ女性を見て、たしかに、と妙に納得したことがある。
 ギリシャの男性は表面いばっている。男しか入らない伝統的なカフェニオンというのもある。外国人の女性がうっかり入っても誰もなにも言わないが、じとーっという雰囲気にふと気付くとなかには男しかいない。
 でも、これはどちらかというと地元のおじさんのもので、やっぱり若者は女の子がいないと話にならないから現代風のカフェに行く。それでも男同士、女同士のグループで座っていることが多く、日本のほうがよほど進んでいる。
 会食でも、男女が必ず交互に座るのがマナーのフランスなどと違って、テーブルを男女が半々に分けて座る。
 女性の中には、これは、男の話題は女子供の話すこととは違うという昔からの意識の表れだといって、はっきり嫌う人もある。
 慣れてくると、これはこれで気楽だが、それは私が日本人で、実は日本も結構そういう部分があるから、案外すんなりそう感じるのかもしれない。
 一昔前まで、親戚の集まりで、食卓を囲むのは男ばかりで、女は台所だったなんて、記憶にありませんか。
 でも、家の実権は(これも日本同様?)実は女が握っている。よね?とギリシャ人の友達に言ったら、だって、夫婦の年が離れていて、男が早く死ぬから、いきおい残ったばあちゃんが強くなるのさ、との返事。
 ちなみに、彼のお父さんは18才年下の女房もちだ。
 だーれですか、羨ましいなんてつぶやいているのは。
(ギリシャ在住)

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<1>復活祭 -03.04

 4月、ようやく本格的な春到来、復活祭の季節である。
 いいわねえ、常夏の国ギリシャ!と言うのは、日本の友人達のごく普通の反応である。でも、ギリシャにはちゃんと四季がある。
 冬になると、神々の山オリンポスをはじめ、2千メートル級の峰は雪に覆われ、それがアルバニアやマケドニアといったバルカン半島の厳しい(と、思う)大地につながっていく、どちらかというと山国だ。
 スキー場だってある。
 今年の冬は特に厳しく長かった。土地のお年寄りが「初めて」と言う雪が、ミコノス島にも降った。
 雨もアラレも雷もすごかった。神様の中で一番偉いゼウスが雷神だというのが納得できる。
 ピカッときたら急いでモデムを抜かないと、うっかり焦げつかせてしまった友達だっているから、まめに引っこ抜く。
 ギリシャ正教では、復活祭の方がクリスマスより大きな祭りだ。多分、夏の好きなギリシャ人が、待ち焦がれた春の到来を昔から祝っていた、それを教会が上手に取り込んだのだろう。
 月の暦で毎年変わるのがいつも日曜日。その40日前が、カーニバルつまり謝肉祭(名訳!)で、焼肉をお腹一杯食べて、食べ納めして、それから断食だ。
 断食といっても、肉や卵、血のある魚はだめというだけで、タコやイカは食べられる。
 どれくらいちゃんと食べないかは、信心によりけり。
 キリストは木曜日に十字架にかけられたことになっているが、この日からは、結構、普通の若者でも断食っぽいことをする。
 もとをただせば、冬で鈍った新陳代謝を良くする、七草がゆみたいなものでしょうか。
 金曜日は、教会のどこも1日中、お葬式の鐘を鳴らす。
 洗濯屋のお兄ちゃんが、毎年この日は気が滅入ってしょうがないと嫌がっていたが、そう言われてみると、カーンカぁぁーン、じゅんれいぃにいぃごほうしゃあぁ、みたいな、陰気な鐘が1日中鳴っている。
 土曜日の夜になると、みんな手に手にろうそくを持って真夜中のミサに行く。
 そして零時、キリストが復活した!といっせいにお祝いを言いながら、復活の火をもらって家に帰り、かまどや祭壇にともす。
 おけらまいりですね。
 家では何日も前から準備したご馳走が並び、夜中の祝宴が始まる。
 翌日は、朝から羊の丸焼きをする香ばしい匂いがあちこちの庭からたちのぼり、家族友人集って午後中宴会だ。
 こうして、3日間の精進の甲斐もなく、ギリシャ人のおなかにお肉がたまってゆく。
(ギリシャ在住)―今月から連載します。

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ボストンから 椎名梨音

March -03.03

 弥生といえば日本では春の訪れだが、こちらのボストンでは、まだ春の予感すら訪れやしない。
 今年は2月後半に厳戒態勢であったテロ(大穴予想であったが)を差し置いて、過去最大規模のブリザードが北米を襲い積雪量も過去最大となった。
 これも皆エルニーニョの影響の及ぼすところであるらしいが、そんな大雪の中、NY行きが雪のためキャンセルとなったので、サイエンス・ミュージアムへ足を運んだ。
 この科学博物館の目玉は、ムガー・オムニシアターという約23メートル、5階建ての建物の高さに相当するIMAXシアターで、高所恐怖症の人には震えが来そうな程の急斜面の座席に座って、巨大ドームスクリーンと6つのスピーカーで、小1時間のフィルムを観る、という船酔いしそうな体験ができる。
 今回は「コーラル・リーフ」という南洋の珊瑚礁を破壊から守る海洋学者のフィルムが上映されており、実際にダイビングしているような感覚を体験できる。
 魚の群れが辺り一面に大きく映し出され、その色鮮やかさに思わずドーム内から一斉に「WOWー!」の感嘆詞が湧き起こる。横殴りの大雪もなんのその、ここはフィジーだ、タチヒだ、ボラボラ島だ〜!と一瞬なりとも現実逃避できる空間があってありがたい。
 なんといいますか、おじ様方が疲れ切った仕事の帰りに飲み屋でイッパイやって、ホッとする瞬間に似たようなもんでしょうか。
 癒し系フィルムも内容は、自然破壊についての教育的要素がかなり強かったのだが、まだ少し体も心も暖かいまま小腹の足しになるものを求め、近くのモールへ移動。ところが、大雪警報が出ているためお店も次々と閉店準備を始めているではないか。
 閑散としたモール内でふと目についたのが、アクアマシーンとかなんとかいう人間洗濯マッサージ・マシーンである。
 以前から、1度体験したいと密かに願っていたのだが、10分15ドルのコースをついに初体験。着衣のまま首から下だけをビニールのようなもので保護された日焼けマシーンのようなドームに入り、水圧を自分で調整しつつ全身マッサージが受けられるという仕組みである。
 うつ伏せに寝てヘッドフォンで環境音楽みたいなのを聞きながら、つま先から首まで、ドドドド・ガガガガ・シュワーッ!
 マッサージになれている日本人には少々物足りないくらいの強さではあるが、10分後には目にうっすら涙が溜り、涎が出そうになっていた程リラックス効果はあったようだ。
 ああ〜気持ちえかったーとふらふらと立ちあがる頃には、モール中が店じまいしており、仕方なく車に乗り込み地下駐車場を出ると、外は10メートル先も見えない程横殴りの雪嵐。先程までの南国リラックス気分は何処へ。
 一筋縄では行かないこの年間の気候の変化がボストンならではの醍醐味なのだと言われるが、時にタフ過ぎるのよね。3月は春が待ち遠しい、みよちゃんの気分なのだ。
(ボストン在住)―今回で終了します。

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February -03.02

 寒い。とにかく極寒である。連日の寒波到来により、マイナス25度Cくらいの寒さが当たり前のボストンと化してしまった。
 こう寒いと、雪も降りやしない。今朝などはマイナス30度Cになり、旦那が車を暖めに外へ出た瞬間、鼻の中がピキーンと凍った様になったそうな。
 家に戻るとそれが一挙にドロ〜ンと鼻水になって出たらしい。汚い話で恐縮です。
 しかし、それくらいの寒波が3年ぶりに訪れているのだ。こんな寒い時にはホットな話題を。
 と、FMラジオで言ってそうな台詞だが、2月といえばバレンタインデー。チョコレートを女性が男性に贈り、思いきって愛の告白をする日なんてのは、日本だけの産業文化(?)であって、こちらでは、男性から女性にバラの花束やカード、プレゼントを贈る愛の日として、長年定着している。
 子供達の間では、小さいバレンタイン・カードにハート型の小さな駄菓子を添えて、クラス全員で交換する。男の子からは、スパイダーマンやポケモンの、女の子からはバービーやキティちゃんのカードという具合に(日本のアニメは大人気なのだ)。
 これは1パック20枚入り3ドルくらいで市販されており、そして特に好きな子には、その中から大きくて派手なカードを選んであげるそうだ。
 バレンタインは学校全体でも行事として認められており、子供ながらに社交辞令の一部となっている。
 義理チョコならぬ義理カードですな。
 一方、大人の男性とっては懐まで寒くなるイベントの様で、2月14日が近づくと、宝飾店にもプレゼント用のジュエリーを選ぶ男性がひしめきあう場面が見られる。
 誕生日の次に大切な男女間のイベントであるのに間違い無く、チョコレートで済ます事など到底許されない男達が米経済へ貢献する日なのだ。
 この日を手ぶらで過ごすとは愛が無い証拠。と、離婚の立派な起訴理由になる国だから恐ろしい。
 女性もバレンタイン用のセクシーな下着を買い求め、本屋に行けば「ロマンティックなバレンタインの過ごし方」などというバレンタインのバイブル的な本の数々がズラリと陳列されており、その辺りが告白用のチョコレートとは一味違う、ビターな大人のバレンタインの演出を必要とするアメリカなのだろう。
 この涙ぐましい努力も虚しく、離婚率が世界ナンバーワンというのだから、本末転倒である。結果はどうであれ努力をするのは、それはそれで大事なことではあるのだろうが。
 有名な「マイ・ファニー・バレンタイン」の歌を、ムードたっぷりにシナトラばりの声でプレゼントして「失礼ね。私そんなにおもしろい顔してないわよっ!」と喧嘩を始めてしまうカップルにならないように、気をつけましょう。
 Happy Valentine!
(ボストン在住)

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January -03.01

 「蛍の光窓の雪〜」
 大晦日に日本で大合唱されるあのメロディーが、アメリカでも「Should auld〜」と唄われ、ニューイアーズへのカウントダウンへと移行して行く。
 除夜の鐘ならぬ、新年に移り変わる1分前から秒読みが開始され、10、9…と大合唱。0:00になると、ボストン港で花火が打ち上げられ、レーザーショーが始まる。
 恐ろしく寒い中、雪見カウントダウンをする物好きが大勢いるのだ。
 その時に、周りにいる人、誰彼かまわずにハグ&キス(つまり抱擁とチューですな)をして、クラッカーやシャンパンをパンパン景気よくあける。
 このハグ&チューというのが、在米暦13年目の私が未だに慣れない習慣なのだ。
 かなり長く知っている相手でも、ハグの時に腰が引け、キスにいたっては顔が強張ってしまう場合もある。照れくさいというよりも、どうしても自然にできないのだから仕方ない。
 こちとら江戸っ子でいっと、言えない奈良県出身の私ですが…。
 とこで、紅白歌合戦をご覧になった方も多いと思うが、平井堅が「大きな古時計」を、作曲者であるヘンリー・クレイ・ワークの孫(といってもおじいさんだが)のパーカー家から、そのモデルとなった時計の前でライブ中継を行った。
 その場所がインターネットですぐに検索できたというのだから、恐ろしい時代である。
 当日には、こちらに住む日本人が約50人程訪れたということだ。
 ボストン市内から車で2時間ほどのクレイビーという小さな田舎町で、おそらく日本人もめったに通らないところであろう。
 パールハーバーの再来か、とパーカーじいさんは思ったに違いないと私は推測するが、これで印税がはいるなら、我慢するしかないんですかねえ。
 現場へ行った人から聞いた話だが、実は、あの時計は一昨年に車が家につっこんできて、動かなくなったらしい。
 修理したのだが直らず、動かぬままで飾ってあったそうだ、とパーカー家の親戚が言っていたと。
 調べてみると、1876年の100年前ということは、1770年代から2001年まで動いていた時計ということになる。なんとも素晴らしい時計ではありませんか。
 逸話は、このように図らずともこの世に繰り返し蘇るようにできているのでしょう。
 カラオケで英語バージョンを歌う人も増えるでしょうね。
 パーカーおじいさん、これからは暫く賑やかになりますね。どうぞ、時計と同様、お元気で。名曲よ永遠に。
 Happy new year!
 今年は良い年になりますように。
(ボストン在住)

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December -02.12

 クリスマスシーズンの到来である。
 移民の国であるアメリカでは、クリスマスという行事に関して、少なからずとも配慮が必要とされるわけで、その一番の例はと言うと、ユダヤ系の人たちへのクリスマスカードの言葉である。
 「メリークリスマス」等は、当然ご法度である。クリスマスカードを送るのさえ気がひけて、またユダヤ教のためのカードもあるのだが(HANUKKAHと呼ばれる8日間が、本来のジューイッシュ・ホリデーになる)。
 ユダヤ系アメリカ人には「ハッピーホリデー」とクリスマスカードに書くのが慣わしだ。
 年末のご挨拶状代わりのクリスマスカードなので、送らないわけにもいかないという少々込み入った事情となるわけである。
 とはいっても、それほど格式を重んじる人ばかりでも無い昨今、日本人にも仏教徒であろうがなかろうが、イベントとしてそれほど抵抗なく受け入れられたように、全てのユダヤ系がクリスマスを否定するというわけでもないのだ。
 ツリーを飾り、プレゼントを交換するという楽しい一族の集まる日として、浸透している。
 ただ、宗教的な意味合いがある日ということに変わりはないので、日本のイベント第一主義とは少し異なるが、それでも良い子にしていれば、サンタクロースは北欧からプレゼントをもって、トナカイに乗って来るから結局はイベントなのか?
 ま、楽しくやれればそれに越した事はないわけだしな。平和が一番だし。
 11月の初旬から、あちらこちらのデパートやモールでクリスマス商戦が始まり、なにせサンタクロースを信じない大人まで、隣人を愛せよ、とばかりにプレゼント交換の場の恒例行事となっているので、この時期にアメリカの景気が反映されるというわけだ。
 よくアメリカの一般家庭でのクリスマスの映像で見かける、あのツリーの下に山ほど積まれたプレゼントの数々。プレゼントを何十個も購入するのだから、かなりの出費となる。それでもアメリカ人は、大切な人にプレゼントをするのがとても大好きな人種らしい(習慣とは恐ろしいものだ)。
 今のアメリカを好意的に見るには努力を要するが、一般市民は一様に宗教を超えてプレゼントを交換できる平和な日々を望んでいるだろう。
 日本も景気回復のために、クリスマスにはどんどんお金を使いましょう。
 そこの貴方、気持ちだけでは、だめですって。
 May wish your Merry Christmas and Peace!
 (ボストン在住)

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November -02.11

 この原稿を書いている10月下旬に、すでに初雪が降った。うっすらと雪化粧した車のルーフが冬の到来を告げている。まだ、ハロウインも終わっていないというのに、だ。
 毎年、子供たちが楽しみにしているのが、この10月31日のハロウインである。10月にはいると、ハロウイン用のコスチュームやキャンディーが市場に出回って、店のショーウインドウのディスプレイも、白いおばけや魔女、蜘蛛の巣や骸骨等で賑やかだ。
 仮定の飾り付けは大抵が、大きなかぼちゃを買ってきて、中身をくり貫き(中はほとんど大粒の種だが)、逆三角形の目、三角形の鼻・ぎざぎざの口を皮に彫り空けて、ジャック・オー・ランタンをつくり、玄関先に置いて中に蝋燭の火を灯すのである。
 ディスプレイ好きの家庭では(コスプレではありません)、こういったイベントの度に道路側の前庭に、それはそれは凝った飾り付けをしていて、見る者の目を楽しませてくれる。
 10月にはお化け屋敷風の墓場になり、11月はサンクスギビングのターキー、12月にはキリスト誕生の馬小屋セット一式等。季節毎に庭全体がまるで絵本の1ページの様で、この家の前を通るたびに思わず頬が緩み心が暖かくなる気がする。
 地域貢献の表彰状のひとつもあげたい程だ。
 さて、ハロウインの当日はと言えば、子供たちは学校へもコスチュームを持って行き、ハロウインパーティーが開催される。
 この日、学校は半ドンで、午後から暗くなるまでは、イベントへ参加(コスチュームコンテスト等)、暗くなったら、懐中電灯を持ち、袋やかぼちゃの形をしたバスケットを携え、数人の可愛いおばけ達がまとまって、家庭を「TRICK OR TREAT!(お菓子をくれないと、いたずらするぞ!)」と、尋ねまわってキャンディーを貰う。
 子供たちにとっては、自分の変身願望が叶えられ、尚且つお菓子もあと数カ月は食べきれない程を一晩で手に入れる事ができるという、とても楽しいイベントなのだ。
 郊外のセーラムという街は魔女狩りで有名であるが、この時期には街をあげてハロウイン大イベントを開催している。
 街中がお化け屋敷となり、フランケンやジェイソン、ゾンビやミイラ等が、その辺をうろうろ歩いている。
 私が出会ったフランケンは、なんと身長が約4メートル程の巨人だった。
 恐らく、高下駄のようなものを履いているのだろうが、ユニバーサルスタジオさながらの大迫力だ。  私はもちろん、負けてはいかんと素顔で街を練り歩いた−なんてことは、ありませんので、念の為。
(ボストン在住)

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October -02.10

 ニューイングランド地方の紅葉といえば、アメリカでも屈指の美しさで有名だ。10月の中旬には黄金色に輝く木のカーテンや落ち葉の絨毯が敷き詰められ、秋のエンディングを見事に演出する準備をしている。焼き芋が付け入る隙等、無いはずだが恋しい季節である。
 その年の夏と初秋の雨量や直射日光の強さ、日中と夜間の気温差等により、紅葉の色づきが変化するらしい。
 夕日が差し込む時間になれば、あたり一面まばゆいばかりの黄泉の国。湖に反映する、その赤から黄色へのグラデーションの素晴らしさは、にわかカメラマンを気取り、車をとめてシャッターをきりたくなる程で、この絶景を目の当たりにして、心が動かされぬ人などいないであろう。
 この辺りの紅葉といえばメープル(楓)が多く、メープルシロップも人気の土産物のひとつである。メープル・キャンディーはブランデーによく合うらしい。秋の夜長とブランデー。なかなか、お洒落ではありませんか。
 紅葉を楽しみがてら、郊外のファーム(農場)へアップルピッキング(林檎狩り)に行くのがこの時期のお楽しみなのだ。
 私が必ず訪れるファームでは、豊水、新世紀といった日本の梨も採れ、これが目的で行くのだが、梨の木の周りにはアジア人ばかり集まっている。アメリカ人はこの美味しさに、まだ気付いていないようだ。
 採りながら食べてももちろんOKだが、そうそう食べられるものでもない。一番小さい袋1枚10ドルを2つ買って、袋一杯になるまで採ったはいいが、帰り際に立ち寄った農場内の店で、箱詰めになって売っている豊水が断然質も良さそうで大ぶりだ。
 仕方なくこちらも購入。食べきれるかどうか不安だが、あきらかにこちらのほうが美味しそうなので、財布の紐も緩んでしまう。
 アメリカのアップルは酸味の強いものが多く、日本の林檎の甘さが恋しくなる。梨や林檎に関してはアメリカのほうが小振りだな(めずらしい)。
 このファーム内は、とてつもなく広大なので、トレインで移動する。「次の停車駅は、梨とゴールデンデリシャスアップルー」等とアナウンスが流れる。
 15分に1度、周回しているので、お目当てを採ったら又移動して、種類の違う林檎や果実へ。ラマ、だちょう、山羊、ひつじ等を子供たちが触れるミニ動物園も、家族連れにははずせない。
 楽をしようと、人々は手前の木からどんどん採っていくので、奥のほうの木には、よく熟した大きめの実が残されている。
 一列がかなりの距離があり、歩くだけで足がパンパンになるが、働きに相応する見返りを受け、農場で働く人々の大変さが少しは体験できる。
 「働かざるもの、食うべからず」、まさにこれですな。よく働いたので、早速、頂くとしましょうか。がぶりっ。
(ボストン在住)

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September -02.09

 夕焼けの色も、赤よりも少し複雑でセンチメンタルなピンク色に染まるようになった。
 空を見上げると、鰯雲に青い空と濃い目のピンクが交わるその夕焼けは、ハードロック系のバラードが似合いそうな色だ。
 「夕焼け小焼けで日が暮れて」というより、「PINK CLOUD」がまさにぴったり合う。
 いつも思うのだが、日本の木の緑は深く、水墨画のようで、アメリカの緑は明るく、鮮やかなオイルペインティングのようだ。
 土地が変われば色も変わる。色も変われば感じ方も変わる。音楽も変わるわけだな。多少強引にひっぱってみるが。
 アメリカという土地も広大すぎて、ひとくくりにはできないが、ボストンではジャズ、クラシック、R&B、ポップス等がうまく共存していると言えるだろう。
 代表的なところでは、ボストン交響楽団(BSO)のシーズンオフ中(5月から8月)に、ボストンポップスが、シンフォニーホールやタングルウッドで演奏するのが有名である。
 BSO(クラシック)の団員がポップスを演奏するわけだ。
 BSOは小澤征爾が前任の指揮者で、ポップスの前任指揮は映画音楽のジョン・ウイリアムスで有名だった。
 同じシンフォニーホールでも、ポップスの時には1階部分の座席が全て取り外され、丸テーブルにクロスがかけられ、ディナーショーのように飲食しながら音楽を楽しめるようになっている。
 サンドイッチ程度のものしか出ないが、指揮者のトーク等もあり、カジュアルな雰囲気。
 クラシック畑出の筆者には少々物足りないが、これはこれで楽しいものである。
 毎夏、レノックスでタングルウッド音楽祭が開催され、そこでBSOも演奏する。
 こちらは逆に交響曲を芝生に座って聞こうという、クラシックのカジュアル化の実現。1930年代からの歴史があり、屋外型コンサート会場で、有名なソリストの演奏や室内楽、ジャズ等も楽しめる。
 座席は簡易椅子で、ローンシート(芝生席)ならブランケットを敷いて、寝転がってクラシック鑑賞が可能なのだ。
 お弁当をもって、ピクニック気分でコンサートを楽しむ。子供もローンシートなら、少々退屈しても平気である。
 さすがカジュアル王国、アメリカ。この自由な感覚が、自然に音楽、芸術へのイントロダクションになって、大きく育つのだろう。
 美術館の中でスケッチもできるし、筆のタッチまでよくわかる至近距離で、ガラスなしで名画を鑑賞できる。
 道端のバケツがパーカッションにかわって、それは素晴らしい路上パフォーマンスになる。
 芸術の秋、今秋は何をいただくとしようか。
 贅沢な選択肢から、絵にかいた餅ではない、本物を。
(ボストン在住)

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August -02.08

 短い夏を楽しむボストニアン達の風物詩といえばBBQ(バーベキューと読む)が定番であろう。日本の流しそうめんのようでもあるが、アメリカの日常的な夏の野外料理である。
 週末はあたりまえのように、庭やポーチでビールを飲みながらBBQ三昧。歴史のある街ゆえ、消防法の厳しいボストンでも、BBQだけは市民権を得ているらしい。
 一家に一台が常識。どの家庭にも、必ずBBQグリルセットがあるはずだ。
 まるで、それがアメリカ人の証でもあるかのように、アメリカに住みたる者、BBQ無しには夏は越せないぞと、暗黙の了解があるのかないのか。そのような感じである。
 それくらいに、BBQは日常化しているのだ。
 フローズンフード(冷凍食品)が料理のメインであることの多いアメリカの家庭で、BBQという存在は、まさにシェフ要らず。
 簡単で豪華。肉や野菜を切り分け、下味をつけておく。もしくは、そういう過程をすべて終えて並んでいるものをスーパーで購入すれば、まさに「焼くだけ」だ。
 火力も強いので、すぐに焼きあがる。そしてやはり、美味しいのだ。
 シンプルな食材を充分にいかせるのが、BBQの利点であろう。余計なテクニックなど、必要としないのである。
 たいていの家庭では男性がBBQ担当というのが、決まりのようになっている。ビール片手に鼻歌なんぞ歌いながら、煙をもろともせず、美味しい肉の焼き具合をチェックするってわけですな。
 牛肉の国、アメリカでは肉が安い!脂も少なく、BBQで焼くには、ぴったりの肉質ともいえる。
 アメリカの象徴であるハンバーガーとホットドックも、もちろん定番中の定番。ハンバーガーもサーロイン100%のひき肉を使うと、素晴らしいご馳走になる。
 あとは、メキシカンスタイルのサルサソースとトルティアチップスがあれば、BBQフルコースの出来上がり。典型的な夏のおもてなし料理でもある。
 シシカバブという串焼きや、イタリアンソーセージ、チキンのTERIYAKI(照り焼きは、もはや外来語である)をグリルで焼けば、なかなかのグルメと賞賛される。
 そして、ビール。やはり体格が違うということは、タンクの容量が違うわけで、彼らのビールやワインの消費量は、桁違いである。
 とにかく、よく飲む。アメ車には馬力があるが、ガソリンを食うのと似ているな。ムスタングみたいなおばさんもいるし。
 老若男女問わず、ソーダ(炭酸系ソフトドリンク)で乾杯。ダイエットを気にしつつ、こういう食生活であるのがアメリカ人の矛盾しているところではあるが、日増しにアメリカ人化している私は、気にしないのだ。
 さ、ジムに一汗かきに行こうっと。
(ボストン在住)

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July -02.07

 夏一番のイベントと言えば、インディペンデンス・デイ(独立記念日)のコンサートとファイヤーワークス。チャールズリバー沿いの、メモリアル・ハッチシェルで行なわれるボストン・ポップスの野外コンサートと、花火大会である。
 コンサートのファイナルは、毎年チャイコフスキーの「祝典序曲1812年」。
 あの有名なエンディングのメロディーとともに、花火が打ち上げられる。ナイス演出である。
 一般人が花火をするのは禁じられているボストンで、7月4日と1月1日(ニューイヤーズ・カウントダウン)の、年に2度しか体験できない貴重な花火見物なのだ。
 大人も子供も、ブランケットやディレクター・チェアを携え、ピクニック気分で、コンサートの陣取りをする。ポップスの演奏が見える場所が取れれば、どんなに蚊に刺されようとも、皆ご満悦なのだ。
 花火にだけ興味があるならば、ハーバード・ブリッジやロングフェロー・ブリッジからの眺めがよいであろう。日本の花火と同様、打ち上げや、滝に見たてた流れ落ちるもの等、花火の盛んなヨーロッパから、わざわざ花火師を呼び寄せているという話だ。
 日本の花火のように洗練された風情はないが、こちらもアメリカ国旗カラー、赤と青色をふんだんに使い、愛国心を否が応にも煽るプロパガンダ花火で、国民を魅了するわけだ。
 今年はテロ事件以来の独立記念日。さぞや立派なものになるであろう。
 この時期のボストンのイベントとして、もう1つ有名なのがクラムチャウダーフェストだ。クラムチャウダースープといえば、ニューイングランド地方名物。このあたりのレストランでこのスープを出さない店は、まずないだろう。
 ホワイトソースをベースに、蛤と野菜がふんだんに入ったスープで、とても美味なのだが、このクラムチャウダーのベスト1を選ぶ催しが毎年、開催される。
 誰でも5ドル弱を支払えば、それぞれのレストラン自慢のクラムチャウダーを食べ比べ、審査する権利が与えられるのだ。
 今年は2年連続優勝している、ケープコッドのとあるレストランが防衛し、3年連続優勝のタイトルを手にすることができるかどうかが、注目されているらしい。
 3年連続優勝すると、ホール・オブ・フェイム、いわゆる「殿堂入り」の名誉が与えられるそうだ。そのレストランの将来は、安泰ってわけですな。めでたし、めでたし。
 ボストンを訪れる機会がある方は、是非ご賞味ください。
 「クラムが入っているのに、クラムチャウダー(ちゃうだあ!)。これ如何に」なんて言わないでくださいね。<> (ボストン在住)

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June -02.06

 アメリカでは5月下旬から6月上旬にかけて、卒業式のラッシュである。
 ボストンは、言わずと知れた学生の街であるからして、たださえ数が足りないと言われているホテル事情に加え、この時期には全米および世界各国から、我が子の晴れの姿を見に訪れる家族でキャンセル待ちさえ出る。
 ただでさえ高いホテル代も、この時期には更にアップする。
 ボストン周辺にはハーバード、MIT(マサチューセッツ工科大学)を筆頭に、60以上の大学がある。ハーバードだけでも18,000人程の学徒数なので、街中は学生だらけなのだ。
 ボストン一帯の平均年齢が、全米で一番若い26歳であるのも、そのためである。見るからに頭の良さそうな学生から、大丈夫なのか?と思わせる学生まで、実に多種多様である。見た目で人を判断するのは感心すべきことではないが、ハーバード大学のロゴTシャツなどを着てハーバード周辺を歩いていれば、誰でも優秀に見えるというのは、あながち間違っていないと思う。
 話がそれたが、こちらの大学を卒業するというのは、本当に大変なことである。ハーバードに限らず、アカデミックに重きをおくアメリカの教育制度では、専門分野以外の厳しい試験やホームワークをこなすのは、当然のことなのだ。
 代返など、存在すらしない。
 よって、卒業というのは、努力した学生だけが勝ち得る、誇るべきイベントなのだ。帽子を大空に飛ばしたくなるのも、わかるってもんだ。
 アメリカの卒業式といえば、まず思い浮かぶのは、あの黒マントと房のついた○○博士のような帽子であろう。
 大学によって色は変わるようだが、黒いマントの場合は学位によってたすきの色がかわるのが特徴である。また、成績優秀者が特別につけるたすきもある。
 あのマント等は、ほとんどの大学ではレンタルで、卒業生はサイズを測ってもらい、当日に借り受けるのだ。帽子に垂れ下がった房の部分だけは、記念に持ち帰れるようになっている。
 卒業証書ももちろん、きちんとアルバムのようなカバーに入れて渡される。まさに表彰状の扱いで、卒業後も額に入れてオフィスや自宅の書斎に飾るのが一般的なようだ。
 総合大学では、屋外で卒業式を行うところが多い。
 大学所有のスタジアムや校庭に白テントをいくつも張って、サーカスさながらに卒業式を行う(見世物には違いないが)。
 卒業を手中にした人間だけが、あの黒マントと帽子を被ることができるのも、御褒美という感じがしてなかなかいいものだ。
 そして、グラデュエイションハットを空高く放り投げる。おそらく、希望に満ちた未来へ向かって。
(ボストン在住)

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May -02.05

 このところ異常気象で真夏日が続いたかと思えば、冬さながらの温度に下がったり。ボストンの春は通常、気温差が激しいものなのだが、今年はまさに、ジェットコースター並みである。
 そして、花々が待ちかねたように、一斉に開花するのがこの時期である。我先にと、桜・小手毬・木蓮・躑躅・花水木等が、まさに咲き乱れるのだ。
 あえて和名で書かせていただいたが、日本のそれらよりサイズはアメリカンなのである。この時期のお散歩コースとして最適なのが、ボストン・コモンとボストンパブリックガーデンだ。ボストン・コモンは、アメリカ最古の公園で、昔は集会場のような役割を果たしていたそうだ。
 女性開放運動家のブルマー女史が演説をしていたのもここである。この女性が当時としてはめずらしく、ズボンのようなものを着用していたのが、お馴染みの女子体操着のブルマーの由来であるらしい。物には色々な意味が込められているものだな、と妙に感心。
 そのボストン・コモンとチャールズストリートを隔てて存在するのが、ボストンパブリックガーデンだ。
 こちらは、もともと湿地帯であったのを、19世紀中頃に埋め立てて作られた植物園である。中心には池があり、船頭さん(若いおにいちゃん、おねえちゃん達)がペダルを踏んで進むスワンボートに乗るのも忘れてはならない。
 一艘20人乗りを動かせる脚力は一見の価値があるし、白鳥や鴨が並んで泳いでくるのがとても愛らしい。枝垂れ柳も池に反映して見事である。
 この豊かな緑が街の真中に位置しているのをご想像頂きたい。
 ビーコンヒルのレンガ作りの建物に囲まれるようにマグノリア(木蓮)や小手毬の花々、そして広い公園が二つ並んでいる。中には季節の花が綺麗に手入れされて植わっている。その中をのんびり歩く。ヴィバルディの四季の「春」が頭の中で演奏を始める。
 小腹がすくと、近くのカフェ・デ・パリでランチをとる。ここは本当にアメリカ?
 アメリカでありながらヨーロッパの風情を併せ持つボストンならではだ。
 ボストン市とケンブリッジ市の間を流れるチャールズリバー沿いの散歩道も、素敵なお散歩コースである。暖かくなると、ジョギング・サイクリング・ローラーブレードや寝転がって読書をしたりする人々で賑わう。
 ロングフェローブリッジから眺める、セイリングするヨットの真っ白い帆の数々は、絵葉書そのものだ。夕日に映えるそれらは、また格別である。絵心があれば、今すぐにでも描きたい風景なのだ。
 心が豊かになる風景が身近にあるというのは、とても贅沢な気分である。寒さが厳しい土地だけに、やっと訪れたこの時期を、皆、待ちかねたように外で過ごす。春爛漫のボストンをフルコースで味わうために。
(ボストン在住)

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April 02.04

 ボストンの冬は長く厳しい。大西洋沿岸にあり襟裳岬と同緯度に当たる。ここマサチューセッツ州の州都ボストンでは、通常は4月になって、ようやく春の準備に取り掛かるという感じだろうか。そして、春はいつも突然に訪れるのである。
 その春一番のイベントと言えば、ボストンマラソンである。1897年に第1回を迎えたこの国際マラソンは、毎年「ペイトリオッツ・デイ(愛国の日)」に行われる。
 優勝トロフィーは姉妹都市である京都市から贈られるという、由緒正しいマラソンなのだ。近年では瀬古選手が2度、有森選手が1度、優勝トロフィーを手にしている。
 そもそもこのボストンマラソンは、独立戦争に折に大活躍したポール・リビア(真夜中に馬で疾走し、イギリス軍の進路をいちはやく知らせた人)を称えて始まったものらしい。
 このポール・リビアなる人物、普段はフランス人系の銀細工職人で、職人階級の政治的リーダーであったようだ。ボストン茶会事件でもインディアンに扮して活躍、「疾駆」というロングフェローの詩に詠われた程である。
 この歴史的なヒーローの姿を、さぞや凛々しいマッチョマンなのだろうと想像していたのだが、(イメージと現実は異なるという)世の常であろうか、ボストン美術館に飾られている彼の肖像画は、思い描いていたヒーローとはかなりイメージが違った。
 ずんぐりむっくりした体格の顔立ちも『おっちゃん』(おじ様とは相反する)という感じである。
 「たぶん、早馬の時はスマートだったんだろうなー」と自分を納得させることにした。いずれにせよ、ポール・リビアの歴史的な功績を称えてボストンマラソンができたわけである。
 世界各地から、アメリカの歴史のルーツともいえるボストンに、多くの観光客が訪れる。昨年9月11日のテロ事件以来、観光客の戻りもまだまだであるが、4月のビッグイベントのボストンマラソンで、再び活気を取り戻してもらいたいものである。
 アメリカンフットボールの地元チーム、ニューイングランド・ペイトリオッツも、初のスーパーボールのチャンピオンになり、ボストンにとって、とても誇らしく喜ばしい年明けになった(筆者もファンなので、非常に嬉しい)。
 今年はかなり暖冬だったので、そろそろ桜も咲くであろう。ボストン市とケンブリッジ市の間を流れるチャールズリバー沿いには、京都市から寄贈されたソメイヨシノがある。
 ちなみに、アメリカ人も桜が大好きである。ワシントンD.Cまで、わざわざ花見に行く人もいる程だ。花見と言っても、公共の場所でお酒を飲むのを禁止している州がほとんどなので、宴会はご法度であるが、花を愛でる気持ちは世界共通なのだ。
 美しい季節に心の中で乾杯するとしよう。
(ボストン在住)

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