新エネ博士ダムダムダンのカンベンしてくださいよォ
平成方丈記 M田隆道 06年4月号〜
なまはげの里から 荒尾美代 05年10月号〜06年2月号
ロンドンから おちあいはな 04年10月号〜05年9月号
ギリシャから ド・モンブラン・むつみ 03年10月号〜04年9月号
ボストン便り 椎名梨音
ルーマニア紀行 石原道友
ブレーメン便り 宇江佐 湊
オランダ事情 益川みる
ロンドンの掟 石関ますみ
なまはげの塩作りに成功した松永先生と佐々木さん一家、なまはげの塩は、全国各地のデパートやスーパーなどでも売られており、男鹿半島発の塩は、全国区へもデビューを果たしている。
塩は、基本調味料であるので、加工食品にも必須な食品。なまはげの塩は、地元秋田では、加工業者の目に留まった。特に男鹿半島はもとより、秋田の商品開発に使用されているのである。 なまはげの塩饅頭、なまはげの塩を使った塩せんべい、同じくパイ、キャンディ。特産品開発にも、男鹿半島のお土産として、特色を発揮している。
しかし、松永先生の研究はまだまだ続く。
「海水は世界中どこでも同じと多くの人々に考えられていたのです。場所によっても、また時期によっても変動することを実証したい」。
研究自体を捏造する事件が近年新聞にも多く載った。研究者は論文によって、業績を上げたがる傾向がある。「業績って何?」と、ふと思う。「何のために業績を上げる必要があるのか?」という基本的な問いかけに戻るのである。就職のため?肩書きのため?地位のため?名誉のため?…。
研究は面白い。誰も明らかにしていなかったことに取り組んでいること自体が「ハマル」のである。研究者の端くれとして、私もハマッテいる。
松永先生は、地に、そして海にもネ、足をつけようという研究をされている。地元に、秋田県にプラスになるような研究、そして人に役立つ研究を志されている。
試験管の成果を消費者に手渡すまでに必要な様々な段階での問題から目をそらさない、研究から商品までの実践者、あまりいないのではないだろうか。――今回で終了します。
(昭和女子大学国際文化研究所客員研究員、博士・学術)
松永先生へ、「なぜ燻製の塩だったのですか」という質問をぶつけた。
「オーストリアの国際原子力機関へ1976年に出向したときに、サーモンクラブというのが職場にあって、ノルウェーまでスモークサーモンを買い出しに行ったんですよ。そのとき食べたサーモンの味が忘れられなくて…。日本に帰ってから買ったりして食べるスモークサーモンの味は、現地とは全く違ったんです」
ならば、自分で作ってみよう!そこから松永先生は燻製作りへ足を踏み入れる。あの時の味が忘れられないから…。うーん、わかる、わかる。
「最初は失敗しましたよ。煙を付けなければいけないのに、焼き魚になっちゃってね」
そんな失敗談を語りながらも、松永先生の実行力、そして、食へのこだわりが窺える。
燻製作り歴25年の松永先生に、「なまはげの塩」に燻煙を付けることがひらめいた。秋田という地域の特色を出すために、燻製に使用するチップはサクラと決めた。秋田市内の千秋公園や角館はサクラの名所としても知られているからだ。
この世界初の燻製塩、秋元康さんもファンだという。それに負けず、わたしも大ファン。イカのお刺身に、半熟卵にパラリ。チキンにすり込んで焼くのも美味、スモークチキンとは別物の風味となるから摩訶不思議。私が試作した簡単チョリソーにも威力を発揮。燻製のイメージを覆すような魔力がある。この塩、限りなく奥が深い。
毎年12月は、必ずスモークサーモン作りを行う松永先生。燻煙機も松永先生の自作。食品学の研究者は、装置までも自ら発想して作る工作技術も必須、「あっぱれ」である。
昨年末も、スモークサーモン作り。学生さんたちもお手伝い。松永先生の執念ともいえる燻製作り、そんな開発者魂を若い人にも実践によって伝えている。講義だけではなく、実験室内だけでもない「煙に巻かない実授業」。これって、すごーく重要なことだと思う。
(昭和女子大学国際文化研究所客員研究員、博士・学術)
男鹿半島で釣り船業もしている佐々木さん一家は、さらに大きな船も購入して、船底を海水保管庫として改造した。そして、岸壁から海水を運ぶタンクローリーも運よく入手できた。
海水を保管する樽も、酒どころ秋田では、吟醸酒への消費者ニーズによって小さな樽を使うようになり、巨大な大きな樽があまっていた時期で、こちらはタダ同然で入手。舞台装置は整った。
海水は。船で沖合いまで行って汲んでくる。中でも、海面から400メートル、ホース8本を使って深海から汲み上げる「深層水」は、ホースを下すだけで30分、汲み上げる時間が2時間半、さらにホースを引き上げるのに45分と時間がかかる。船で海上へ出る往復時間4時間を加えると、丸1日仕事となる。
塩作りは、煮詰めてナトリウム(塩化ナトリウム)の結晶を析出させる。ナトリウムの結晶が析出する前に出てくるのが、カルシウム(硫酸カルシウム)で、それを念入りに取り除く。カルシウムは体によさそうではあるが、口に入れたときに溶けず、ザラザラ感が残るので出来るだけ取り除く。燃料は廃材を利用。ガスではなく、木を燃やして焚くので、煮つまり具合を見ながらの火加減が重要となる。古法にのっとった方法で、見ていても手間がかかるのがよくわかる。
全国に出回っている塩の原材料をみると、外国から輸入した岩塩に、近海の海水を混ぜて煮溶かした後、再結晶させるという塩もある。つまり、日本沿岸の海水ではない。輸入した岩塩が入っていて、国産の自然塩風を表示している塩も多いのである。
塩は基本調味料なので、私はいろいろな種類を常備していたが、輸入される岩塩の方が、重量もあるし、コストが高いと思っていた。それが、安いというのを知ったのは、この取材を通してだ。輸入の岩塩の混ぜ物を日本の天然の塩と信じて疑わず食していた自分に愕然とした。
あまりにも、日本は、他国に資源のみならず食糧までも依存しすぎているなあと実感する今日この頃である。食糧自給率40パーセント。食糧を外国に依存しすぎのニッポンと感じるのは,私だけであろうか…。
(昭和女子大学国際文化研究所客員研究員、博士・学術)
現在、実際になまはげの塩をつくっているのは、男鹿半島に住む佐々木さん一家である。
佐々木茂さんが塩づくりをやってみようかと思いついたのは、1年間の放浪の旅!?がきっかけだった。
以前は、従業員7〜8人を使ってパン屋さんをやっていた。「毎日睡眠時間は3時間ぐらい。食事をする暇もなかった」と、奥さんの栄子さん。
5年前にパン屋さんを思いきって廃業し、1年間旅行三昧の日々を送っていたときのこと。旅先で、岸からホースを降ろして沿岸の海水を汲み上げ、塩づくりをしている光景に出会った。
「沿岸の海水はきたないんですよ。そこで沖合いの海水を使えばいいと思ったんですよ。うちは、釣り船もやっているので、船があるし…」
海に囲まれた男鹿半島にずっと住んでいる佐々木さん一家は、沿岸の海水の汚れを知っていた。
塩づくりに興味を持ち始めたちょうどその頃、秋田県立大学に赴任したばかりの松永先生が、秋田で塩づくりをやってみようという抱負を語った記事が、秋田魁新聞に載った。それを読んだ佐々木さん、すぐさま松永先生へ連絡を取った。
タイミングよく、出会った両者。気持ちは一緒だった。どちらが主導でもない。「依頼」でつくってもらうわけではない。松永先生も県から「依頼」されたわけでもない。男鹿半島で塩をつくろうと発想したのがほぼ同時期。運命的な出会いだ。
「スローフード」や、「地域」、「共生」というのが、最近のキーワードである。そんな言葉に踊らされずに生まれたなまはげの塩。産学のコラボレーション、イイカンジである。
(昭和女子大学国際文化研究所客員研究員、博士・学術)
松永隆司先生との出会いの仲介者は、秋田県総合食品研究所の菅原久春先生である。菅原先生は秋田の特産品であるしょっつるの研究者なのだが、私も20年近く前から魚醤油の研究をしていて、そのご縁で知り合い、菅原先生のご紹介で伝統食品研究会という、今でいえばスローフードの学会に入会した。その伝統食品研究会が、秋田(鷹巣町、現北秋田市)で開催されたときに、松永先生が県側の挨拶をされた。
秋田といえば、酒、酒、酒…。伝統食品研究会の懇親会では両先生と飲んだ、飲んだ、飲んだー。
そんなわけで、秋田とはナガーイお付き合い。東京出身の私には、「おいしかった!」という記憶がその県への思い入れになってしまう習性がある。胃袋が大いに左右してしまう。そこへ、「人」との出会いが入れば、思い入れは相乗効果となってファン度が増す。
さて、馴れ初めが長くなったが、松永先生、面白いことをやり出したのだ。それは、塩作り。近年、塩ブームが続いているが、そんじょそこらの塩とは違う。なまはげで知られる男鹿半島の海水を使って、昔ながらの方法で作る。そして、私が惚れきったのが、松永先生開発の世界初の塩の燻製だ。ぜひ人間ドキュメントを含めて紹介したいというのが、このコラムである。
そもそも、松永先生は、農水省食品総合研究所の研究者だった。平成7年に秋田県総合食品研究所を立ち上げるべく、その所長として平成3年に出向。平成11年から秋田県立大学生物資源科学部の教授として、ご家族と共に秋田へ移住。移住を決意されたのは、「釣りバカ日誌」の浜ちゃんの心境といってしまったら大変失礼だけれど、釣り歴30年の松永先生には、秋田の海は魅力的だったのだろう。秋田に惚れてしまったんですね、先生は。もともとは新潟のご出身のIターン組である。秋田県は、貴重な人材を県民にした。
(昭和女子大学国際文化研究所客員研究員、博士・学術)
20年振りに大学の恩師に会ってきました。
この夏、夫に転勤の辞令が出てロンドンを離れることが決まった時、真っ先に思い浮かんだのは先生のことでした。7年前、大学で調べてもらっていた連絡先に手紙を出してみるとすぐに返事があり、週末のランチに招待されたのです。
私がウェイン先生と出会ったのは今から20年程前。当時先生はブリティッシュ・カウンシルから派遣されて私の通う大学の教養部で英語を教えていました。英語といっても英語を読むでも話すでもなく、一つの音を完璧に発音できるまで何度も繰り返し練習するというユニークな授業で、教室から漏れる奇妙な私たちの声を聞き、通りかかる学生がよくからかって覗いて行ったものです。先生はそんな外野に動じる様子もなく、いつも笑顔で「ラブリー!」(すばらしい!)を連発していました。
今考えるとあれは音声学入門のような授業だったと思うのですが、当時の私は、研究室でいただく”A cup of tea”や先生の醸し出す「イギリスの香り」により魅力を感じていました。大学3年の春、イギリスに行くことを決心した時、先生はトーマス・クック社の時刻表と全国のB&Bのガイドブックを、手書きのイギリス旅行プランとともに手渡してくれました。
6週間だけの滞在でしたが、初めての外国の地で見たもの感じたことは、今も鮮明に覚えています。それらはウェイン先生を通して私が見ていた一面的なイギリスよりずっと多様で衝撃的でしたが、それだけ私の世界も劇的に広がりました。
先生は8年前に日本の大学を退官後イギリスに戻り、今はケンブリッジの近くの小さな町で夫人と二人で暮していました。
20年ぶりの再会に私はいくらか緊張していました。ところが私たちを迎えるなり先生が「ああ、よかった!君が風船のようになってしまったんじゃないかって心配していたんだよ」と言うものですから私も「先生もお変わりなく風船のままで」と応じてしまいました。
お陰で話も弾み、昼食時の先生の辛口のジョークは絶好調。夫人のジーンさんがその調整役というのも昔のままでした。
食後のお茶をいただきながら、先生が日本に来た意外な経緯を聞くこともできました。それは、モスクワで3年務めた後、ある国への異動を申請しようと送った書類が何かの手違いで提出期限までにイギリスの本部に届かなかったため、その時たまたま空きがあった我が母校である大学に赴いたというものでした。
私は幸運でした。先生との出会い、イギリスと出会ったことがどんなに私に意味あるものだったかを20年前よりいくらか上達した英語で伝えようと思っていましたが、結局止めました。その代わり、帰りに車のところまで送って下さった先生と抱擁の挨拶を交わしました。先生は今でも「イギリスの香り」がしました。
‐‐今回で終了します。
7月の公共交通機関を狙った爆弾テロ以来、ロンドンは住みにくい街になりつつあります。街はパトカーがサイレンを鳴らして頻繁に走り、空には警備のヘリコプターが、夜中の12時を過ぎているにも関わらず飛び回っています。住宅地の地下鉄駅でも機関銃を持った警官が警備し、手荷物の中身がチェックされることもあります。運悪くこれに遭遇した場合は、長い列に並んで順番を待たねばなりません。
昔からのロンドン在住者には、90年代始めまでIRAによるテロを経験していたこともあって、爆弾テロを恐れていてはこの街では暮らして行けない、と極めて冷静な発言をする人もいます。
しかし、そのような人でさえも、警察官が無実のブラジル人を地下鉄の車内で射殺してしまった事件はやや衝撃だったようです。ロンドン警視庁はその後、このような行動は警備上やむを得ないと言明、実際「shoot to kill」を認められた私服警官がロンドン市内には相当数いるようです。この事実は、外国人や移民、特に南西アジアやアフリカ出身の在住者に精神的負担を強いています。誤って銃で撃たれるリスクを意識しながら暮すのは確かに辛いものです。深刻なのは、今回のテロ後の一連の動きが、人種差別や移民の権利制限につながっていることです。ロンドン警視庁の警視総監は「白人の高齢者をチェックするような無駄な捜査はしなくとも良い」とうっかり発言してしまい、人権団体から反発を受けています。8月に入り、ブレア首相は、過激な思想を持つ移民の団体は活動停止処分にし、指導者は国外追放にすることを発表しました。
そもそも、増加する移民に対するアングロサクソン系英国人の思いは複雑なものがあります。伝統的に彼らはキリスト教の人道主義的な思想が強く、政治的な理由で国を追われた人間の亡命を寛容に受け入れてきました。結果的にイスラム諸国から移民を多く受け入れることになり、特に90年代以降多くの移民が流入。税金負担、文化摩擦、治安悪化などの問題が起こっており、本音では好ましく無い現象と捉えている人も多いはずです。
この5月に実施された下院の総選挙では、野党の保守党が「Are you thinking what you are thinking?」というキャッチフレーズを掲げました。これは今のイギリス人の多くが移民を制限すべきだと考えてはいるが、強く主張するのは倫理的ためらいがあり一種のタブーになっている、という点を突いて煽動しようとするものでした。
こうした流れの中で、今回のテロが発生してしまったのは全く不幸なことです。ブレア政権が移民や外国人の人権を制限する政策に傾くのは避けられないでしょう。しかしイギリスには個人の人権を何よりも尊重する根強い勢力があり、特にBBCなどマスコミにこの傾向が強いのは安心できます。世論が一方向に偏らないのはこの国の良い所なのです。
(ロンドン在住)
私の住むメアーズフィールド・ガーデンズはプラタナスの並木と19世紀の赤煉瓦の家々が美しい通りです。その中でも良く手入れされた前庭がひと際目を惹く、メアーズフィールド・ガーデンズ20番地。人類最初の精神分析医であるシグムント・フロイトは、最晩年の一年三ヶ月余り(1938年6月-39年9月)をこの美しい家で過ごしました。
長年オーストリアのウィーンに住み、既に夢分析や連想法による精神分析でその名を世に馳せていたフロイトですが、ナチスがウィーン侵攻を開始した38年、ユダヤ人である彼はやむなくイギリスへの亡命を決意したのでした。重い病を患っていましたが、家族のことを考えての亡命だったようです。
この家は現在フロイトミュージアムとなって一般に公開されています。ミュージアムの内部にはフロイトの書斎や実際に診療で使っていた長椅子のある診察室が当時のまま残っています。二階一室ではナチスに接収された直後のウィーンの自宅や亡命途上のパリでの様子、ロンドンでの生活の様子を収めた貴重なビデオフィルムを観ることができます。
御近所ということもあって何度か訪れ展示内容の理解が深まるに連れ、私は一人の人間としてのフロイトの理性と自律を貫いた生き方に強く惹かれるようになりました。
彼の思想の根本には、集団主義と対極をなすところの「個」の尊重があります。ユダヤ人として幼い頃から受けてきた差別体験が影響しているのは間違い無いでしょう。彼の生きた時代のヨーロッパは、いわゆる20世紀的な現象である「画一化と集団化」「国家間の戦争による大量殺戮」が始まろうとしている頃です。フロイトはこの状況を分析批判し、人間というものは、無意識的に集団化し、それを盲目的に愛し、排他的になる原始的本能を有するので、理性的に「個」として自律する必要があると述べています。「集団幻想論」と呼ばれるこの考え方は21世紀の現代にも当てはまると思われることが沢山あります。
今でこそ精神分析の祖などと言われていますが、生存中彼の理論はなかなか学会に理解されず、性的な例えを多用したため、退廃的な学者と蔑まれた時期もあったようです。今日でもその理論の実践は意見の分かれる所のようですが、一方で世界中に多くのフロイト支持者がいることも確かです。
亡命当時フロイトは82才。既に16年間の癌との闘いで衰弱した身体を押しての亡命でした。ミュージアムではBBCが亡命後にインタビューしたフロイトの生の声を聞くことができます。口蓋癌のため思うように発声できなかったはずの彼は、しっかりと、しかも慣れない英語でこう言っていました。「私は誤解され反発され多くの困難に出合いました。そしてそれを乗り越えることに成功しました、しかしこの闘いは未だ続いています」
(ロンドン在住)
皆さんは"SUDOKU"を御存じでしょうか。
先日、イスラエル人の大家さんから電話があり、外出先からと思われる緊急らしきその電話の用件が日本語であるはずの"SUDOKU"の意味を尋ねるものだったのです。第2音節にアクセントのあるその言葉には全く聞き覚えが無く、その言葉の出所を聞きましたら、こちらの新聞に載っている数字のパズルの名前だと言います。そこで"SUDOKU"の"SU"は「数」のことだろうと思いましたが、"DOKU"のほうは見当もつかず、とりあえず、造語のようなものだろうと答えてお茶を濁しておきました。
それにしてもわざわざ外出先から電話で聞くほどのことかと不思議に思い調べてみましたら、今イギリスで大流行しているパズルであることが分かったのです。ロンドンの金融街で働くビジネスマンでもある大家さんのこと、このパズルが仕事中の話題に上ったのでしょう。
このパズルは昨年の十一月タイムス紙上に掲載されて以来人気が徐々に広まり、今やイギリスの大手五紙が毎日掲載するほどの大ブームです。ブームの仕掛人は元裁判官で、現在香港在住のニュージーランド人、グールド氏。以前東京で購入した数独の本をヒントに、六年の歳月をかけてSUDOKU用のコンピュータープログラムを作り上げた人物です。今では世界十一カ国の新聞に無料で提供しています。
縦9列、横9列のマス目の中に太線で区切られた3×3のマス目の枠が9セットならんでおり、ここに1から9までの数字を入れていくのですが、縦列と横列、そして太線で囲まれたそれぞれの枠に同じ数字を重複させないように並べていくというのがルールです。
さて先程の大家さんの質問への答えですが、日本語では「数独」と書きます。日本のあるパズル制作会社の商標でその会社によると「数字は独身に限る」の短縮名称とのことですが、それだけでは依然、意味不明です。 ところが、いざタイムスを入手し夫と共に挑戦してみて判りました。一度始めるとつい熱中し他の事が手に付かなくなってしまうのです。家族サービスも家事もできなくなるので、「独身に限る」というのは名称というよりは注意書きのようなものです。
実際イギリスでは夫がSUDOKUに夢中になる余り妻が疎かにされる現象を指す、「SUDOKU未亡人」なる言葉が生まれたり、自らを「SUDOKU依存症」と診断する人々まで現れる始末。ただ悪影響ばかりではなく、論理的思考と集中力の強化、脳の活性化に効果があるとして教育や医療現場ではすでにSUDOKUの導入が検討されているようです。
BBCによるとその起源は十七世紀の日本古来のパズルにあるというこのSUDOKUのブーム。世界を巡り巡って日本に再上陸する日も、そう遠くはないかもしれません。
(ロンドン在住)
イギリスの人気シェフ、ジェイミー・オリバー氏がテレビ番組でイギリスの学校給食の悲惨な状況を告発し、世の注目を集めています。
この番組によると、現在、学校給食一人当りの予算は37ペンス(74円)と極端に低額で、このため、いわゆるジャンクフードの類いの冷凍食品、例えばフライドポテト、ハンバーガー、ピザが毎日のように子供達に給食されており、栄養的にはビタミンCは皆無、鉄分は必要量の3分の1、その代り脂肪と塩分が異常に多いとのこと。このような給食に慣れてしまった子供達の味覚は既にジャンクフードに毒されていて、親も子供に迎合してその類いを食べさせているのでしょう。親にとっても楽であるに違いなく、一般家庭での食のジャンクフード化も相当進んでいると思われます。
そう思うのは、ロンドン在住の日本人で子供を現地校に通わせている友人が、イギリス人の子供を家に招いて、手作りのパンを御馳走しても一向に手をつけず、もっぱらポテトチップスにばかり手が伸びるとか、逆に自分の子供が友達の家に行くと、電子レンジで加熱したチキンナゲットが饗され困惑すると言った話を聞いたことがあるからです。
件の番組の中でオリバー氏は、現在の給食に慣れてしまった子供達は親よりも早く死に至る可能性が高く、これは国の将来に関わる深刻な事態であるとして政府に学校給食予算の増額と、ジャンクフードの禁止を要求しました。
5月に総選挙を控える労働党のブレア政権はこのテレビ番組のあまりの反響に着目し、早速ジェイミー・オリバー氏とブレア首相の面談をセットし、3月末には一人当りの学校給食費を小学校は50ペンス(100円)中学校は60ペンス(120円)になるよう予算を増額することを発表しました。この他にも栄養基準のガイドラインを即時導入、2005年秋からは、学校給食の現場でガイドラインが遵守されているか否か政府がチェックすることを決めました。依然として、低予算ではありますが一歩改善、オリバー氏も「20年前から、そうしていれば良かったのにね」と皮肉を込めながらも一応評価はしているようです。
「一応」というのはオリバー氏のもう一つの要求であるジャンクフードの禁止についての政府の反応が芳しく無かったからです。ジャンクフードが無くなれば子供達は野菜や果物など栄養ある食べ物を食べるしかなくなるだろうというのが彼の考えにあります。そういう状況を強制的に作らなければならないほど今の子供たちの食生活は危機的なのでしょうか。確かに、学校給食さえ改善すれば、子供達の栄養や味覚が健全になるというのものでもないでしょう。本当の原因は家庭にもあることは明らかです。
大人達のオリバー氏の給食に縋る思いが件の番組への大反響となったと考えればやはり事態はかなり危機的なようです。
(ロンドン在住)
現在イギリスはヨーロッパの中でドイツに次ぐオーガニック食品の消費国だそうです。特に狂牛病が問題になって以来、今最も成長している農業分野だと言います。かく言う私もオーガニック食品の愛好者です。ノンオーガニックに比べて遥かに美味しいこと、それに安心できることを考えれば、二割増し程度の価格もそれほど高いとは思えません。
イギリスのオーガニックの歴史は半世紀以上も遡ります。一九四六年創設のオーガニック認証機関、ソイル・アソシエーション(Soil Association)は、オーガニックを「自然な営みを尊重すること」と定義しています。
先月下旬のある日私はこの「自然の営みを尊重すること」の意味を身をもって経験する機会を図らずも得ました。この頃にしては珍しく朝から雪がちらつく中、私は夫と共にロンドンから車で二時間半ほど北にあるオーガニック農家が経営するB&B(Bed&Breakfast朝食付き民宿)をめざしました。宿はピークディストリクトというピーク(峰)の連なる景観が美しい地方にありウォーキングのメッカなのですが余りの寒さに断念し、途中の街にあった十八世紀産業革命時代のアークライトの紡績工場跡などを見学して日没前に宿に到着しました。小高い丘をうねる細い道を上りきったところにある石造りのその農家からは遠くの峰まで見渡せ、まさに想像通りの佇まいです。満面の笑みと手作りのケーキで迎えてくれたイアンとジョイス、暖炉の火がともるラウンジで寛ぎ、身も心も暖まったまでは期待通り。ところが、部屋に戻り床に就くとあまりの寒さに寝つけないのです。自然は容赦なく石造りの壁を通して襲って来ます。布団を頭まですっぽり被り、朝まで浅い眠りを繰り返しました。翌朝、朝食のため階下へ降りて行き、始めて他の二組の泊まり客に会いました。イギリス人の彼らは、前日も寒さの中サイクリングやウォーキングを楽しんだことや地球の温暖化が気掛かりなことを話します。イギリス人の自然の営みを受け入れる生き方はまさにオーガニックの定義に符合します。世界に先駆けて産業革命を経験し、人工的な文明の快適さ享受したイギリス人がこのオーガニックの考え方をこの五十余年の間大切に育んできているというのは示唆的でもあります。
私は前日訪れた紡績工場内のカフェの窓から見下ろした清流と素朴なスコーンの味を思い出していました。
美味しいオーガニックの朝食をいただいて宿を出る時、朝の一仕事を終えたイアンが戻って来ました。「また会いしましょう。」と言う彼の言葉に私は「必ずまた来ます。」と答えていました。…そう、もう少し暖かくなったら。
(ロンドン在住)
"License to kill"
ある大衆紙にこんな見出しを見つけたのはつい先週のことです。
話はもちろんジェームズ・ボンドのことではありません。
「強盗殺しの許可」‐強盗に対する刃物や銃などによる殺傷が正当防衛として認められた‐という記事でした。
ことの始まりは昨年の秋、イングランド北部で農場を経営する男性が侵入してきた強盗に銃で怪我を負わせたことで逮捕されたという事件にあるようです。
同じ強盗に過去にも三度被害を受けており四度目にとうとう自己防衛のために認可を受けて所持していた銃の引き金を引いてしまったというこの農場主に同情する声が多く、政治も巻き込んでの議論に発展していたようなのです。
イギリス人の友人に聞いてみると例えば強盗に自宅で出会しゴルフクラブで殴り怪我を負わせた場合、やはり一度は逮捕されるだろうというのです。
これには驚きました。強盗、車両盗がイギリスの風物と言われてきたのも無理もありません。これでは強盗のやりたい放題です。
一方でこの考え方は実にイギリスらしいとも言えます。強盗にも「人権」を認めるということなのでしょう。
銃や刃物など殺傷能力の高い凶器の使用を正当防衛として認めてしまうことで起こりうる人権侵害を防ぐための措置なのかもしれません。
強盗を罰しないと言っているわけではないのです。件の農場主は結局裁判で無罪となり強盗は懲役7年の実刑判決を受けたので法は健全に機能しているのですから。
そう考えてみると今回政府が正当防衛の解釈をより過激に認めたことはそうしたイギリスらしい考え方の放棄ともとれます。
メディアも乗じて今まで無視してきたような十代の若者による反社会的行為や強盗殺傷事件などを多く取り上げイギリスの治安が著しく悪化しているような印象を与えていると指摘する人もいます。
その指摘が正しいとすれば、おそらく政府の狙いは世論を味方に付けて警察権力の強化を進めようということなのではないでしょうか。事実最近は反社会的行為に対する処罰が強化されて酔って公共交通機関に乗り逮捕された人もいるというのですから。
警察の権限は強化されても、自分の身は凶器をもって自分で守らなければならないのだとしたら、何のための警察なのでしょう。
90年代に大量に受け入れた移民の問題、未曾有の好景気の陰で増え続ける貧困、麻薬問題、そして終わりのないテロの脅威が、今イギリスという国の行く先を変えようとしているのだとしたらそれはとても残念なことです。
(ロンドン在住)
きっかけは物見遊山のつもりで出かけたポートベローマーケットでした。毎週土曜に立つロンドン最大のアンティーク市です。1キロ以上は続いている道の両側にびっしりとストールが並んでいます。その中のある銀器専門のストールで装飾の綺麗な銀のワインコースターがあったので手に取って見ていると初老の男性が声をかけてきました。
「19世紀ヴィクトリアンのスターリングシルバーだよ」。そう言われても良く分からず、あいまいな笑みを浮かべて頷いている私に彼は尚も続けます。「百年以上も生きて来たのだから、もうあと百年は保証するよ」
男性はストールの主人でした。お互いあと百年も生きられないでしょうから確かめ様もないのですが本人はいたって真面目です。銀器を扱うアンティークディーラーを長年してきたそうで、イギリスで作られる高純度の銀(スターリングシルバー)製品にはホールマークというものが刻印されていて製造年、場所、メーカーが特定できるようになっていることを教えてくれました。その日は百年物には手が出なかったのでもう少し若い八十年物を購入しました。
以来、アンティークへの興味が尽きることはありません。そもそもイギリスはアンティークの宝庫。国内を旅行すれば小さな町や村、時には畑のまん中にある納屋のような建物の中にもアンティークショップを見つけることができます。
年に数回各地で開かれるアンティークフェアも楽しいものです。食事やお茶をする所が併設されていて一日かけてゆっくり見られるようになっています。
一口にアンティークと言っても高価な宝飾品から安価な日用品まで様々ですがその市場の膨大さを目の当たりにする度にイギリス人の古き良き時代への執着のようなものを感じます。またイギリス人の歴史への好奇心や知識欲が市場に活気を与えてくれているのも確かでしょう。他人にはがらくたに思える物でも興味あるものであれば一生かけて集める個人コレクターは沢山いるようです。
今のところアンティークディーラーとの話が私にとって一番の教科書です。買いもしないのに惜しみ無く知識を分け与えてくれます。その代わりこちらも最大限の敬意を払って辛抱強くお話を拝聴しなければなりません。気が付いたら20分も話を聞いていたということもありましたが、それだけの価値はあるのです。
「いわば、歴史を買うようなものだね」「想像力が肝心さ」「今どきハロッズに行ったって、がらくたしか買えないよ」
私の心を掴んでいるのは古い銀器や家具ばかりでなく、こんな一言をさらりと言って除けるアンティークディーラーたちなのかもしれません。
いつも最後には「お話しできて楽しかった。ありがとう」と言って別れます。アンティークは人も物も一期一会の世界なのです。
(ロンドン在住)
「もう、誰も彼らを止められません!」
司会の男性の声に続いて舞台に現れたのはヘビメタファッションに身を包んだベテランBBCニュースリーダーの面々。ヘビメタミュージックに乗って手振り腰振り激しいダンスパフォーマンス。今年も11月に例年通り行われたBBC主催のチャリティ生番組『チルドレン・イン・ニーズ』のひとコマです。
この余りの熱演に度胆を抜かれたのは私だけではないはずです。サー・エルトン・ジョンを始めとする数々の有名人出演者も霞んでしまった程です。「明日からはもう今までと同じ気持ちでニュースを見ることはできそうにありません」という会場の観客のコメントに私はテレビの前で思わず大きく頷いていました。
BBCのリーダーといえば、BBCの花形的存在です。BBCニュースの充実ぶりは彼らの知的でユーモアたっぷりの語りと、ゲストとのインタビューで社会のあらゆる面を斬ってみせる感性の鋭さに負うところが大きいと思うのです。
当然のことながらBBCニュースの番組制作現場における彼らの地位は最も高いのだそうです。
前日や翌日の彼らはいつも通りスタジオや首相官邸前や中東諸国の現場からニュースを送り続けたりしているのですから、この際、練習不足が明らかな隠し芸の質に文句を言うつもりはありません。
それよりも何よりも組織の「偉い人たち」が体を張ってチャリティを盛り上げようという心意気と行動力に拍手を送りたいと思います。
もっとも、プロの報道人である彼らにとって、「体を張る」ことは至極当たり前のことなのかもしれません。
昨年のことですがBBCは「イラク戦争参戦について国会の承認を得るために政府がイラクの大量破壊兵器に関する報告書に誇張表現を使った」と報道したことで政府と対立しました。事態はその後、情報源であった国防相の科学者の自殺でますます悪化し、収拾に当たった上院による調査結果報告書が政府寄りで、その中にBBCが当初、情報源である科学者と取材した記者を庇い名前を公表しなかったことを非難する内容が含まれていたことから、BBCのトップを含む主要な役員が辞任する結果となりました。それでも、その後の世論の反応は概ねBBCに好意的なものでした。
それはBBCが最後まで真実の追求と公正な報道の重要性をいつも通り「体を張って」訴え続けたからではないかと思うのです。私はその時、これから長く続くであろう時の暗闇の中にかすかな希望の光を見たのを覚えています。
信頼できる報道をいつも得ることができるという安心感は今のような時代、とても大切だと思います。私はBBCのような報道機関を持つイギリスの人たちを羨ましく思うと同時に、遠い我が国の憂える現状に思いを馳せざるを得ませんでした。
(ロンドン在住)
トウィッケナム駅のひとつ手前の駅で乗り換える時、すでにプラットフォームはラグビージャージを着た人たちで溢れていました。ホームに入ってきた電車もすし詰め状態でしたが、「紳士淑女の皆様、この電車は満員でありますが、どうか文句など言わずにご乗車願います。なぜなら、本日はラグビーの日であるからです」という駅員のアナウンスに促されて乗り込みました。その日はイングランドラグビープレミアシップの開幕戦がロンドン南西部にあるトウィッケナム競技場で行なわれるのです。自分としては早めのつもりで2時間前に到着してみると、競技場はすでに大勢の人々で賑わっていました。
隣接する駐車場で車のトランクをテーブルにしてピクニックパーティーをする人、競技場内のレストランで家族や仲間とランチをとる人、ビール片手に立ったまま談笑する人、皆思い思いに試合前の時を楽しんでいます。私も軽い食事を取って飲み物を手にスタンド内の席についたのは試合開始5分前でした。
私の席は右隣では強面の体格の良い男性2人が上半身裸で日光浴をしながらビールを1人4リットルは飲んでいましたが、意外にも席を立つたびにラグビージャージーを着用するお行儀の良さでした。左隣はお揃いのラグビージャージーを着た親子で、父は5歳ぐらいの息子に試合中ずっと熱心にルールを解説し、息子も緊張の面持ちでそれを聞いているようでした。
観客はプレー中、無闇に大声を出しません。特にゴールキックのときは声を発してはいけないようで、ささやき声でも周りの人に注意されます。何やら堅苦しく思えるかもしれませんが、長い攻防や緊張を選手と一体にとなって耐え、トライやゴールの瞬間に皆で分かち合う喜びを1度味わうとこれが苦にならないから不思議です。
9月最初の日曜日のこの日は夏休みの終わりであると同時にラグビーシーズンの始まりでもありました。夏が逆戻りしてきたような陽気もあって、この日トウィッケナム競技場には5万人以上の人々が集まりました。
昨年オーストリアで行なわれたラグビーワールドカップでイングランドが北半球国最初の優勝国になってから、サッカーに押され気味だったラグビーの人気が復活しつつあります。今こそ英国が誇るラグビーの伝統を若い世代にアピールする時とばかりにイングランド代表の選手は国の英雄として頻繁にマスコミに登場するようになりました。延長戦終了間際のドロップゴールでイングランドを劇的勝利に導いたウィルキンソン選手の人気は今やマドリードに行ってしまったサッカーのベッカム選手を遥かに凌ぐ勢いです。
だからと言って、淑女の皆さん、黄色い声援はいけません。今もラグビーは紳士のスポーツ。「ウィルキンソンさま〜!」なんて、もってのほかというものです。
(ロンドン在住)
先日15日のことです。イギリスの下院でキツネ狩り禁止法案が可決され、これに反対する1万人以上の人々がウエストミンスターの国会議事堂前に集結し、機動警察と衝突する映像が全国ニュースで流れました。そのうちの数名は、議事堂の改修工事関係者を装い建物内に潜入、開会中の下院に乗り込み反対を訴えたといいます。
法案に反対するのはキツネ狩りが禁止されれば生活の基盤を失うことになる狩猟犬や馬の飼育をしている農民たちです。
彼等がこの捨て身の強行策に出たのは、ここ数年、下院で可決されては上院で否決され差し戻される、というパターンをくり返していたこの法案が、今回、上院で否決されても下院優位の議院法が適用されて、立法化されることが確実視されているためです。
日本人の我々には馴染みの薄い「キツネ狩り」ですが、イギリスでは300年の歴史を持つ伝統的スポーツです。乗馬をしながら、特別なトレーニングを受けた猟犬を従え獲物となるキツネを追い込むのですが、最後にはキツネが猟犬にかみ殺されることから、動物愛護団体などが「残酷な行為」であるとして禁止を求めているのです。
都市化が急速に進むイギリスにおいて、田舎でキツネ狩りに携わる人々はまちがいなく少数派です。ところが、この日を境に彼らを支援する人々の動きが俄に活発になってきました。
まず、国内の資産家たちからは伝統の保存と狩猟の自由と権利を求めて反対派団体に多額の寄付の申し出があり、またイギリスのカントリーサイドに広大な土地を所有する貴族の中からは「政府がキツネ狩りを禁止するなら、現在自分の領地内で行なわれている軍事演習を許可しない」と言い出す人まで現れました。
さらに狩猟愛好家団体が法案に賛成した下院議員のうち、狩猟が盛んな地方から選出された15名を「標的」に掲げ、来年の総選挙に向けて「議員狩り」キャンペーンを開始すると言います。
今回、法案が下院で可決されたのは、現在の与党である労働党が12年前キツネ狩り禁止法案の検討を掲げ政権の座に着いた、という経緯があるためで、「議員狩り」の標的にされたのは皆労働党議員です。自ずと最大野党である保守党はキツネ狩り禁止法案の反対派になり、危機感をもった労働党は法の施行を遅らせると言い出す始末です。
あからさまな選挙戦の道具と化したキツネ狩り論争。政府が膨大な時間を税金を無駄使いしている、と怒りだす人々がいるのも無理ありません。でも一番迷惑しているのは、人間の都合で運命を変えられてしまう犬や馬やキツネたちでしょう。
ロンドンにある我が家の裏庭にも、キツネが時折姿を見せます。どうもこの辺りに住む平和的隣人のようです。田舎の大騒動に愛想をつかして都会に引っ越してきたのかもしれません。
(ロンドン在住)
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